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お笑いコンビ「相席スタート」のボケ担当・山崎ケイさんの学歴は、芸人としてのイメージとはかけ離れた高学歴です。
出身中学・高校はどちらも茨城県の偏差値70超という超難関校・江戸川学園取手で、大学は早稲田大学第一文学部に現役で合格しています。
一方で、大学4年間で友達が1人もできず、卒業式にも出席しないまま当日は自宅で涙を流していたというエピソードも有名です。
この記事では、山崎ケイさんの出身校の偏差値や各校の特徴、小学校から大学・芸人デビューまでの学生時代のエピソードを詳しく整理します。
記事のポイント
①:山崎ケイは早稲田大学第一文学部卒
②:中学・高校は偏差値70の江戸川学園取手
③:大学4年間で友達ゼロ・卒業式も欠席
④:24歳でNSCに入学し芸人の道へ進む
山崎ケイの学歴と中学・高校時代のエピソード
- 【偏差値70超】山崎ケイの学歴プロフィールと出身校一覧
- 江戸川学園取手中学校の特徴と偏差値
- 中学時代のエピソード|ガールズバンドと読書
- 江戸川学園取手高校の進学実績と厳しい校則
- 高校時代の罰ゲーム事件と性格変化
- 高校時代に初彼氏ができた話
【偏差値70超】山崎ケイの学歴プロフィールと出身校一覧
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まず、山崎ケイさんの基本プロフィールと学歴の全体像を確認してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 大江恵(おおえ けい)/旧姓・旧芸名:山崎恵 |
| 生年月日 | 1982年6月13日 |
| 2026年03月23日現在の年齢 | 43歳 |
| 出身地 | 千葉県柏市 |
| 身長・体重 | 163cm・70kg |
| 血液型 | B型 |
| 所属 | 吉本興業東京本社 |
| コンビ | 相席スタート(ボケ担当) |
| 最終学歴 | 早稲田大学第一文学部卒業 |
| 出身高校 | 江戸川学園取手高校(偏差値70) |
| 出身中学 | 江戸川学園取手中学校(偏差値70) |
| 出身小学校 | 千葉県柏市内の公立校(校名非公表) |
山崎ケイさんの学歴を見ると、中学・高校ともに偏差値70という超難関校に在籍していたことがわかります。
江戸川学園取手は茨城県取手市に位置する私立の共学校で、現在は茨城県内でも屈指の進学校として知られています。
山崎さんは中学受験でこの学校に入学し、そのまま内部進学で高校へと進んでいます。
小学校時代のエピソード
出身小学校は千葉県柏市内の公立校とされていますが、校名などの詳細は明らかにされていません。
家族構成は両親と山崎さんの3人家族で、ひとりっ子として育っています。
山崎さんの母親は人のあり方に厳しい一面を持っており、「人の立場で物事を考えなさい」「自分がされて嬉しいことは人にしても嬉しいはず、人が嫌なことはするな」といった教えをしつこく言い聞かせていたといいます。
その影響で、現在でもマナーに対して厳しいスタンスを持っているとのことです。
また、山崎さんは子供の頃から人見知りが激しく、小学校時代も友達が少なかったと語っています。
実家にはテレビが1台しかなく、親がチャンネル権を握っていたため、バラエティ番組をほとんど見ておらず、当時はお笑いにもさほど興味がなかったというのは意外なエピソードですよね。
後に国民的なお笑い芸人となる人物が、子供の頃はお笑いにあまり触れていなかったというのは、なかなか興味深い話です。
江戸川学園取手中学校の特徴と偏差値
ここでは、山崎ケイさんが中学受験で入学した江戸川学園取手中学校について詳しく整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 江戸川学園取手中学校 |
| 所在地 | 茨城県取手市 |
| 種別 | 私立・共学 |
| 偏差値 | 70(超難関) |
| 入学方法 | 中学受験(山崎さんは受験で入学) |
| 高校への進学 | 内部進学で江戸川学園取手高校へ |
江戸川学園取手中学校は、偏差値70という数字が示すとおり、全国的に見ても難易度の高い学校です。
山崎さんが「受験勉強がよくできるだけ」と後に謙遜している通り、この学校への合格には相当な学力が必要です。
一般的に偏差値70前後というのは、同学年の上位2〜3%程度に相当する学力レベルです。
つまり、山崎ケイさんは幼い頃から非常に高い学力を持っていたということになりますよね。
入学の背景と校風
この中学校は系列の高校と同じキャンパスに設けられており、内部進学によってそのまま江戸川学園取手高校へ進学することができます。
山崎さんはこの内部進学ルートを利用して、中学から高校へとスムーズに進学しています。
多様性を受け入れる校風があり、文化祭でのガールズバンドのステージなど、個性的な活動にも寛容な雰囲気があったと山崎さん自身が語っています。
「普通の学校だと、女子のいけてないグループがガールズバンドで文化祭に出るみたいなことってすごく勇気のいることだと思うけど、うちらの学校はちょっと特殊でその辺り全くプレッシャーもなかったよね。多様性を受け入れる学校というか」とコメントしており、学校の校風が山崎さんの個性形成にも影響していたようです。
偏差値が高い学校というと締め付けが厳しいイメージもありますが、少なくとも中学校時代は比較的のびのびとした環境で過ごすことができたようです。
ここ、気になるポイントだと思うので、少し詳しく見ていきましょう。
中学時代のエピソード|ガールズバンドと読書
山崎ケイさんの中学時代は、意外なエピソードが豊富です。
一見すると「おとなしい優等生」というイメージになりがちな進学校の生徒ですが、山崎さんの中学時代はかなり個性的な側面が目立ちます。
ガールズバンド「じょばーな」を結成
中学時代に最も驚くエピソードが、ガールズバンド「じょばーな」の結成です。
「イケてない女子」5人組でバンドを組み、山崎さんはドラムを担当していました。
このバンドは文化祭のステージで演奏を披露したこともあり、前述の校風の話と合わせて考えると、学校全体として個性を尊重する雰囲気があったことがわかります。
バンドを組むこと自体は珍しくありませんが、いわゆるスクールカーストの下位グループが堂々とステージに立てる環境は、確かに特殊といえるかもしれません。
山崎さんがその後お笑いの世界へ進む伏線とも読める、表現することへの積極性はすでにこの頃から芽生えていたようです。
読書と演劇への興味
また、山崎さんは中学時代に熱心に読書をしており、太宰治の作品などを好んで読んでいたといいます。
偏差値70の進学校に通う中学生らしい、インテリな一面ですよね。
演劇部に入りたいという気持ちもあったものの、当時は入部せずに帰宅部として過ごしました。
ただし演劇への興味は持ち続けており、後に大学で演劇部に入部しています。
中学3年生の時にはメガネからコンタクトに変えてイメチェンを試みるなど、外見への意識も芽生えていた時期でもあります。
人生観を変えた言葉
さらに、中学時代に「自分の価値観を押し付けるな」と言われたことが山崎さんの人生観に大きく影響しています。
この言葉によって「人はみんな一緒じゃない」ということに気づいたと語っており、後の芸人としての感性、特に男女の価値観の違いを巧みに描くネタのベースになっているとも考えられます。
幼少期から厳しく育てられた一方で、思春期に「違いを認める」視点を得たというのは、山崎さんのキャラクター形成において非常に重要な転換点だったのかもしれません。
また、意外にも中学時代はガールズバンドを組むなど、積極的な側面も見られます。
帰宅部ではありましたが、読書・バンド・演劇への興味など、知的好奇心と表現欲が同時に育まれた中学時代だったといえそうです。
江戸川学園取手高校の進学実績と厳しい校則
山崎ケイさんが内部進学で進んだ江戸川学園取手高校について、学校の特徴と進学実績を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 江戸川学園取手高校 |
| 所在地 | 茨城県取手市 |
| 種別 | 私立・共学 |
| 偏差値 | 70(超難関) |
| 開校年 | 1978年 |
江戸川学園取手高校は1978年に開校し、現在は茨城県内でも有数の進学校として知られています。
山崎さんが在籍していた頃の主な進学実績として、東京大学7名・東京工業大学7名・筑波大学医学群医学類6名・東京医科歯科大学医学部2名・早慶上智202名という実績があります。
これだけの数字を見れば、山崎さんが超のつく進学校に通っていたことがよくわかります。
驚くほど厳しい校則
山崎さんが在籍していた当時のこの高校は非常に校則が厳しく、登下校の通学路を守らなかっただけで反省文を書かされたといいます。
また、学校内でテレビ番組の話をすることさえ禁止されており、校長先生の話を全部速記して清書するという独特の校則もあったとのこと。
現代の感覚からすると相当厳しい環境ですが、それだけ学業に集中させる意図があったのでしょう。
山崎さんはこの厳しい環境に窮屈さを感じていたのか、校則違反をして近くのカラオケボックスに行ってたびたびストレスを発散していたとも明かしています。
偏差値70の進学校でありながら、こっそりカラオケでストレス発散というのは、なんとも人間らしいエピソードですよね。
高校時代の罰ゲーム事件と性格変化
山崎ケイさんの高校時代で最も印象的なエピソードが、いわゆる「罰ゲーム事件」です。
山崎さんは高校時代について「暗かった」と振り返っており、クラスの底辺の男子たちが山崎さんに握手を求めることを罰ゲームにしていたと明かしています。
「私、高校時代、暗かったんですけど、クラスの底辺の男子たちが、罰ゲームで私に握手してって声をかけるというのをやっていまして」というコメントは有名で、当時いかに存在感が薄かったかを物語っています。
逆境をバネにした思考転換
ところが山崎さんは、この経験を単なるトラウマとして終わらせませんでした。
「底辺から見ても、私は罰ゲームのネタになるような底辺なのか!と思ったら、面白くなっちゃって。そこからむくむく明るくなって」と語っており、この出来事が逆に自分を面白くする起点となったと前向きに捉えています。
「災い転じて福となす」を地でいくような思考転換で、これが後の芸人としての素地になっていたのかもしれません。
高校時代は帰宅部で部活動などは行っておらず、徐々に明るいキャラクターに変化していった時期でもありました。
現在の明るくさばけたキャラクターは、高校時代の暗い底辺経験と、そこからの這い上がりによって形成されたとも言えそうです。
お笑い芸人として「ちょうどいいブス」というキャラクターを確立した背景には、こういった学生時代の経験が大きく関わっているのかもしれません。
ここ、気になりますよね。
高校時代の山崎さんのエピソードを聞くと、現在のキャラクターとの落差が面白くて、それが今の芸風にしっかり生きているように感じます。
高校時代に初彼氏ができた話
山崎ケイさんは、インタビューで「はじめて彼氏ができたのは17歳の時」と明かしています。
つまり、高校時代に初めての恋愛を経験しているわけです。
当時の相手は1学年上の先輩で、電話で告白されて交際に発展したというエピソードです。
ただし、当時はたまに一緒に帰ったり、映画を鑑賞するなど、非常に清い交際だったとも語っています。
「暗くて罰ゲーム扱いされていた」と語っていた高校生が、1学年上の先輩から電話で告白されていたというのは少し意外ですよね。
先ほどの「徐々に明るくなっていった」という流れの中で、自然と交際のチャンスも生まれたのかもしれません。
早稲田大学模試でのE判定と現役合格
高校3年生の時に受けた早稲田大学模試ではE判定を取ってしまい、担任の先生からは現役での合格は厳しいと言われていたといいます。
しかし山崎さんは「自分が本番で実力を発揮できるタイプ」であることを信じ、猛勉強の末に現役で早稲田大学に合格しています。
模試のE判定から現役合格というのは、相当の努力があったことは間違いないでしょう。
後に本人は「実はあんまり頭良くなくて、受験勉強がよくできるだけだったので…」と謙遜していますが、それでも偏差値70の高校から早稲田大学に現役合格するのはかなりの学力が必要です。
この経験が、後の「本番に強い」というメンタルの原点になっている部分もあるかもしれません。
この早稲田大学への挑戦と合格のエピソードは、山崎ケイさんの学歴を語る上で欠かせない話です。
同じく卒業生にはNHKアナウンサーの中村慶子さんがいるなど、各界で活躍する人材を輩出している学校です。
山崎ケイの学歴と早稲田大学から芸人への転身
- 早稲田大学第一文学部への逆転合格の秘話
- 大学時代に友達ゼロだった真相
- 卒業式欠席と号泣エピソードの背景
- OLからNSC入学・相席スタート結成まで
- 現在の活動と結婚・家族
早稲田大学第一文学部への逆転合格の秘話
山崎ケイさんが進学した早稲田大学第一文学部は、文学・哲学・歴史・芸術など、人文学系の幅広い分野を扱う学部です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大学名 | 早稲田大学 |
| 学部 | 第一文学部 |
| 入学形態 | 一般入試(現役合格) |
| 偏差値目安 | 65〜67程度 |
| 入学前の模試結果 | E判定(担任に現役合格を否定された) |
| 結果 | 現役合格 |
前述の通り、山崎さんは高校3年生の時に受けた早稲田大学の模試でE判定を取っています。
担任の先生から「現役での合格は難しい」と言われた状況から、猛勉強の末に現役合格を果たしたエピソードは、山崎さんの粘り強さを表しています。
一般的に模試でE判定というのは合格可能性が20%以下の水準で、担任が不安を感じるのも当然といえます。
それでも山崎さんは自分のタイプを信じて本番に臨み、見事に合格を掴んでいます。
本人は「頭は良くなかった、受験勉強が得意なだけ」と謙遜していますが、それだけ受験本番に向けた集中力と努力があったということでしょう。
偏差値70の進学校から早稲田大学への進学というのは、学校の水準からすれば決しておかしな話ではありませんが、E判定という逆境からの現役合格は十分に誇れる成果です。
逆境を乗り越える力は、後のお笑い芸人としての下積み時代にも生かされていそうですよね。
大学時代に友達ゼロだった真相
山崎ケイさんの大学時代で最も有名なエピソードが、大学4年間で友達が1人もできなかったという話です。
早稲田大学という大規模な大学に4年間通いながら、1人も友達ができないというのはなかなか想像しがたいことですよね。
本人によると「自分から『友だちになりたいな』と声をかけるのは苦手」という性格が大きな原因だったとのことで、人見知りという幼い頃からの性格が大学でも続いていたことがわかります。
演劇部に所属していたにも関わらず
興味深いのは、山崎さんは大学で中学から温めていた演劇部への夢を実現して入部していた点です。
部活動に所属しながら4年間友達ゼロというのは、かなり特異な状況といえます。
演劇部というのは、稽古やステージを一緒に作り上げる過程で自然と仲が深まりやすい環境です。
それでも友人関係を築けなかったというのは、山崎さん自身の内向きな性格と、他者へ積極的に踏み込めない部分が影響していたのでしょう。
しかし逆に言えば、この孤独な大学生活の中で培われた観察力や内省力が、後のお笑いネタにおける男女心理の鋭い描写につながっているとも考えられます。
山崎さんが「相席スタート」として披露する漫才は、男女の恋愛模様をリアルかつ巧みに描写するスタイルが特徴です。
孤独に過ごしながら人間観察を続けた大学時代の経験が、その鋭さの土台になっているかもしれません。
卒業式欠席と号泣エピソードの背景
山崎ケイさんの大学時代を象徴するエピソードのひとつが、卒業式に出席しなかったことです。
友達が1人もいない状態で卒業式に出席するのは、確かに気持ち的に辛いものがあったのでしょう。
山崎さんは卒業式当日、式には出席せずに自宅で涙を流していたと語っています。
4年間通った大学を卒業する節目の日に、式場ではなく自宅で泣いているというのはなんとも切ないエピソードですが、山崎さんらしい正直さが滲み出ています。
孤独な大学生活が生んだ自己理解
この孤独な大学生活の経験は、山崎さんが自分自身の性格と向き合う機会にもなっていたようです。
人に声をかけるのが苦手という自覚、それでも人との繋がりを求める気持ち、その矛盾の中で4年間を過ごしたことが、山崎さんの人間理解の深さに繋がっているとも考えられます。
後にお笑い芸人として「ちょうどいいブス」というキャラクターを確立した山崎さんは、自分の外見や性格をネタにする自己開示が非常に上手です。
その自己開示の能力は、大学時代の孤独な内省によって磨かれた部分が大きいのかもしれません。
あなたも同じような疑問を持っていたのではないでしょうか。
「早稲田出身なのになぜ友達ゼロ?」という部分、実は山崎さんの人間的な深みを理解するうえで非常に重要なエピソードです。
自分の価値観や感情に正直で、それを包み隠さず話せるキャラクターは、この時期に形成されていったと見ることもできます。
OLからNSC入学・相席スタート結成まで
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早稲田大学を卒業した山崎ケイさんは、すぐに芸人の道を歩んだわけではありませんでした。
大学卒業後は丸の内でOLとして約1年間働いたという経歴があります。
このOL生活は、NSCへの入学費用を貯めるためのものでした。
つまり、大学時代にはすでにお笑い芸人を目指す気持ちが固まっており、卒業後は目標に向けて着実に準備を進めていたわけです。
24歳でNSC東京校13期に入学
約1年間のOL生活で入学費用を貯めた山崎さんは、24歳でNSC(吉本総合芸能学院)東京校の13期生として入学しています。
大卒のOLからお笑い養成所という転身は、周囲からすれば驚きのキャリアチェンジだったかもしれません。
しかし山崎さんにとっては、ずっと温めてきた夢への一歩だったのでしょう。
NSC在籍中は「KBBY」というコンビを組み活動していましたが、このコンビは2012年11月に解散しています。
相席スタートの結成
コンビ解散後、放送作家の山田ナビスコさんからの紹介で、NSC東京校14期出身の山添寛さんとコンビを組むことになります。
当初は周囲の芸人からも「やめとけ」と反対されており、山崎さんと山添さん自身もお互いに良い印象を持っていなかったとのこと。
しかし2013年2月2日、日本テレビ系の番組でコンビ結成が公表され、「相席スタート」が誕生しました。
結成当初から吉本興業に所属し、男女の恋愛模様を描いた漫才で徐々に注目を集めていきます。
2016年にはM-1グランプリの決勝に進出し、9位という成績を収めました。
現在の活動と結婚・家族
現在の山崎ケイさんは、相席スタートのメンバーとして漫才・コントに加え、テレビ・ラジオでの活躍が続いています。
2020年9月からはニッポン放送「ザ・ラジオショー」の火曜パートナーとして出演しており、現在もレギュラーを務めています。
テレビドラマへの出演も増えており、2025年7月からTBSドラマ「シンデレラ クロゼット」に出演するなど、女優としての活躍の場も広げています。
落語家・立川談洲との結婚と出産
プライベートでは、2020年10月14日に落語家の立川談洲さんと結婚したことを公表しています。
立川談洲さんは吉本興業出身の後輩で、2017年から交際していたとのことです。
プロポーズも結婚指輪もなく、本名が「大江恵」に変わったことを後から明かすというユニークな結婚スタイルも話題になりました。
2023年6月6日には第1子の出産を報告し、現在は母親としての顔も持っています。
高学歴ながら大学時代は友達ゼロ、卒業式も自宅で号泣という孤独なスタートから、人気芸人・妻・母親とさまざまな役割を持つ山崎さんの現在は、その波乱万丈な学生時代を考えると感慨深いものがあります。
少しイメージが湧きやすくなれば嬉しいです。
山崎ケイの学歴と芸人としての歩みの総まとめポイント
- 山崎ケイは千葉県柏市出身、1982年6月13日生まれの43歳
- 本名は大江恵(旧姓・旧芸名:山崎恵)
- 出身中学は江戸川学園取手中学校(偏差値70)で中学受験で入学した
- 中学時代はガールズバンド「じょばーな」を結成しドラムを担当していた
- 出身高校は江戸川学園取手高校(偏差値70)で茨城県内屈指の進学校
- 高校時代は「握手が罰ゲーム」と言われるほど暗いキャラだったが徐々に変化した
- 高校3年時の早稲田大学模試でE判定を受けたが猛勉強で現役合格を果たした
- 初彼氏ができたのは17歳(高校時代)で1学年上の先輩から電話で告白された
- 大学は早稲田大学第一文学部に現役で進学し演劇部に所属した
- 大学4年間で友達が1人もできず、卒業式にも出席しなかった
- 大学卒業後は丸の内でOLとして約1年間働きNSC入学費用を貯めた
- 24歳でNSC東京校13期に入学しお笑い芸人を目指した
- 2013年に山添寛さんと相席スタートを結成し2016年M-1グランプリ決勝に進出
- 2020年10月に落語家立川談洲さんと結婚し本名が大江恵となった
- 2023年6月に第1子を出産し、現在はラジオ・テレビ・ドラマで活躍中
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