小山明子の孫は5人でひ孫も誕生|大島渚との家族と90歳の今

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小山明子の孫は5人でひ孫も誕生|大島渚との家族と90歳の今

映画監督の故・大島渚さんの妻で女優の小山明子さんは、2026年04月10日現在の年齢は91歳です。

2025年8月放送の徹子の部屋に出演した際、孫が5人にひ孫が1人いることを公表し、家族全員の集合写真を公開して大きな話題となりました。

卒寿を迎えてなお週1回のプール通いやコーラス教室を続けるなど、精力的な日常を送っています。

この記事では、小山明子さんの孫や息子2人の家庭の様子に加え、嫁たちが家計を管理するようになった経緯や17年間の介護生活、闘病の記録まで幅広く整理していきます。

記事のポイント

①:孫5人とひ孫1人の家族構成

②:息子2人と嫁が支える暮らし

③:肺がんやうつ病を乗り越えた経緯

④:大島渚監督を17年間介護した献身

小山明子の孫は5人でひ孫も誕生した大家族

  • 【孫5人】小山明子の家族構成を整理
  • 孫の結婚を報告した徹子の部屋
  • 長男・武と次男・新の家庭と現在
  • 嫁の知子と真裕美が支える家計管理
  • 大島渚監督との結婚と息子の子育て

【孫5人】小山明子の家族構成を整理

結論から言うと、小山明子さんの孫は5人で、さらにひ孫が1人誕生しています。

小山明子さんは映画監督の故・大島渚さんとの間に息子を2人もうけており、長男・大島武さんと次男・大島新さんがそれぞれ家庭を持っています。

2025年8月放送の徹子の部屋で、小山明子さん本人が「息子が2人、孫が5人と、ひ孫が1人」と家族構成を明かしました。

小山明子のプロフィール

下記の表は小山明子さんの基本情報をまとめたものです。

項目 内容
本名 小山 明子(こやま あきこ)
生年月日 1935年1月
2026年04月10日現在の年齢 91歳
出身地 千葉県
職業 女優・エッセイスト
配偶者 大島渚(映画監督・故人)
結婚年 1960年
子供 息子2人(長男・武、次男・新)
5人
ひ孫 1人
デビュー作 映画『ママ横をむいてて』(1955年)
著書 『パパはマイナス50点』(集英社)

大島渚一家の家族構成表

以下の表で小山明子さんを中心とした大島家の家族構成を整理してみます。

続柄 名前 備考
大島渚 映画監督・2013年逝去
長男 大島武 既婚
長男の妻 知子 家計管理を担当
次男 大島新 既婚・都内在住
次男の妻 真裕美 経理業務を担当
5人 2025年3月に1人が結婚
ひ孫 1人

孫5人の詳細が非公表な理由

小山明子さんの孫5人について、個々の名前や年齢といった詳しいプロフィールは公表されていません。

これは小山明子さん自身が家族のプライバシーを大切にしているためと考えられます。

ただし、テレビ出演時には家族全員の集合写真を披露しており、孫やひ孫との交流を大切にしている様子がうかがえます。

小山明子さんは「息子はもう60…。息子はもう凄く大きいですよ」と笑顔で語っており、孫を含めた大家族に囲まれて穏やかに暮らしていることが伝わってきますよね。

ひ孫の誕生で4世代が揃った大島家

ひ孫が1人いるということは、孫のうち少なくとも1人が子供を持っていることになります。

小山明子さんを頂点に、息子世代・孫世代・ひ孫世代と4世代が揃った大家族です。

90歳を迎えた小山明子さんにとって、ひ孫の存在は大きな喜びでしょう。

長い人生の中で戦争・介護・闘病と様々な困難を経験してきた小山明子さんですが、大家族に支えられながら充実した日々を過ごしています。

孫の結婚を報告した徹子の部屋

小山明子さんは2025年8月5日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演し、孫が2025年3月に結婚したことを報告しました。

徹子の部屋での家族写真公開

番組内で小山明子さんは、長男・武さんや次男・新さん、その妻たち、孫やその配偶者、ひ孫まで全員が揃った家族写真を披露しています。

司会の黒柳徹子さんは「4年前、お金の不安からうつ病にかかったことを告白してくださった」と紹介し、その後の回復と近況を掘り下げるトーク内容でした。

小山明子さんは家族について「息子が2人、孫が5人と、ひ孫が1人」と明かしたうえで、孫が結婚したことを嬉しそうに語っています。

家族全員が集まった写真には、大島渚さん亡き後も結束する一家の温かさがにじんでいましたよ。

卒寿のお祝いエピソード

小山明子さんは2025年1月に卒寿(90歳)を迎えました。

「卒寿を迎えられると思ってなかったです。ここまで生きるとは思って(なかった)」と率直な思いを番組で吐露しています。

卒寿のお祝いでは、家族はもちろん、親しい友人やママ友たちからも盛大に祝福されたそうです。

小山明子さんが卒寿のプレゼントとして何をもらったか聞かれると、「時計です。それは私が希望して、これを買ってもらったんです」と嬉しそうに話していました。

黒柳徹子とのやりとりで見せた人柄

黒柳徹子さんが「次は99歳の白寿だと思ってらっしゃるんですって」と続けると、小山明子さんは「いや、そこまではもういかないと思ってます。ここまで来たからこれで十分だと思ってます」とにこやかに応答しています。

この飾らない言葉の中に、戦争や介護、闘病を経験してきた小山明子さんならではの達観が感じられます。

それでいてユーモアを忘れない姿は、90歳を迎えてなお輝き続ける女優としての魅力そのものですよね。

長男・武と次男・新の家庭と現在

小山明子さんの孫5人を育てたのは、長男の大島武さんと次男の大島新さんの2人です。

長男・大島武さんについて

長男の大島武さんは小山明子さんの自宅から車で10分ほどの場所に住んでいます。
月に1回、小山明子さんを車で焼き鳥デートに連れ出してくれるのが恒例になっているそうです。

小山明子さんが番組内で「息子はもう60…」と発言していることから、武さんは60代に入っていることがわかります。

大島渚さんと小山明子さんが1960年に結婚しているため、武さんは1960年代前半に生まれた可能性が高いでしょう。

職業などの詳細は公表されていませんが、母親の介護やうつ病の際に率先して支援に動いた姿から、家族思いの人物であることがうかがえます。

次男・大島新さんについて

次男の大島新さんは都内に住んでいます。

普段は遠方に住んでいるにもかかわらず、小山明子さんの自宅を訪れてすき焼きを作ってくれることもあるそうです。

小山明子さん本人も「どういう風の吹きまわしか、うちに来て、すき焼きを作ってくれました」と嬉しそうに語っており、母子の距離が近づいたことがよくわかりますよね。

息子2人の結束で母を支えた経緯

もともと小山明子さんは、息子たちにはそれぞれ家庭があるからと距離を置いて付き合っていたそうです。

お誕生日などのイベントでは集まるものの、「口を出さず、深く関わらない」というスタンスだったとのことです。

ところが、2021年にうつ病を発症した際、息子2人は「お母さんを助けなきゃ」と立ち上がりました。

武さんと新さん、そしてそれぞれの妻の計4人で家族会議を開き、小山明子さんの生活を立て直す計画を練ったのです。

この出来事がきっかけで、小山明子さんと息子たちの関係はぐっと近くなったといいます。

嫁の知子と真裕美が支える家計管理

小山明子さんの孫たちの母親にあたる嫁2人が、小山明子さんの家計管理を全面的に担っていることが明らかになっています。

長男の妻・知子さんの役割

長男の妻である知子さんは、小山明子さんに「お小遣い制にしましょう」と提案した人物です。

銀行口座を整理し、クレジットカードは使い過ぎてしまうからと解約、生命保険も5つから2つに絞って無駄を省いてくれました。

毎週日曜日には夕飯に招いてくれて、その際に1週間分の生活費を手渡す仕組みになっています。

冠婚葬祭など臨時の出費があるときはその都度申告する形で、「もともとお義母さんのお金ですから」と温かく対応してくれるそうです。

次男の妻・真裕美さんの経理担当

次男の妻である真裕美さんは、月に2回東京から小山明子さんの自宅を訪れ、振込などの経理業務を手際よく処理してくれます。

来訪時にはお昼ご飯も作ってくれるそうで、「何をするにも手早く、時間の使い方が上手。お嫁さんから学ぶことは多いですね」と小山明子さんは感心しています。

嫁との距離が縮まった背景

小山明子さんは以前、嫁たちとここまで心を開いて話せるとは思っていなかったそうです。

病院への付き添いも2人が交互に担当してくれて、帰りに一緒にランチを食べる時間が楽しみになっているとのことです。

「弱くてダメな自分をさらけ出したことで、息子やお嫁さんたちに助けられ、距離がぐっと縮まった気がします」と小山明子さんは振り返っています。

うつ病という苦しい経験がきっかけではありましたが、結果的に家族の絆が深まったことは大きな収穫だったのではないでしょうか。

2人の嫁が家計をスリムに整えた成果

知子さんと真裕美さんの尽力によって、小山明子さんの家計は「この先、破綻することなくやっていける目処がたった」とのことです。

コロナ禍が落ち着いてからは仕事の依頼も戻り、年金と合わせて安定した生活が送れるようになりました。

「お義母さん、心配しなくていいですよ」という嫁たちの言葉が何よりうれしかったと小山明子さんは語っています。

孫5人の母親でもある2人の嫁が、小山明子さんの暮らしを支える大きな柱になっているのです。

大島渚監督との結婚と息子の子育て

小山明子さんの孫5人のルーツをたどるには、1960年の大島渚監督との結婚にまで遡る必要があります。

松竹での出会いと結婚の経緯

小山明子さんは大谷学園横浜ドレスメーカー女学院(現・横浜高等教育専門学校)の在学中、学園のファッションショーに出演したことがきっかけで雑誌「家庭よみうり」のカバーガールになりました。

これが松竹の目に留まり、スカウトされて芸能界入りを果たしています。

1955年に映画「ママ横をむいてて」で女優デビューした小山明子さんは、松竹で助監督をしていた大島渚さんと出会いました。

1960年に結婚し、その後フリーの女優として映画・ドラマ・舞台で活躍するようになります。

息子2人を育てた環境

結婚後、小山明子さんは長男・武さんと次男・新さんの2人の息子を授かりました。

小山明子さん自身が4人の兄に囲まれて育った経験があり、「男兄弟の中で育って子どもも息子が2人。男社会の中で生きてきた」と語っています。

大島渚さんは「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで国際的に評価された映画監督です。

多忙な映画制作の傍らで家庭を守り、2人の息子を育て上げた小山明子さんの力は大きかったでしょう。

大島渚が独立した際の覚悟

大島渚さんが松竹を退社して独立した際、小山明子さんは「何もなくなっても一から出直せる」と覚悟を決めたそうです。

この強い精神力は戦中戦後の体験で培われたもので、どんな困難にも動じない基盤となりました。

息子2人が家庭を持ち、孫が5人生まれ、ひ孫まで誕生した今の大家族は、小山明子さんと大島渚さんが築いた家庭の延長線上にあります。

夫婦で紡いできた家族の歴史が、現在の大島家の絆の土台になっているのです。

小山明子の孫に囲まれた90歳の暮らしと歩み

  • 90歳の日常と健康を保つ秘訣
  • コロナ禍のうつ病と家族の支え
  • 肺がんと心臓病を乗り越えた闘病
  • 大島渚監督を17年間介護した献身
  • 戦争体験から女優デビューまでの半生

90歳の日常と健康を保つ秘訣

 

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小山明子さんの孫やひ孫に囲まれた暮らしは、驚くほど活動的です。

90歳を超えてなお、スケジュール帳がぎっしり埋まるほどの充実した毎日を送っています。

規則正しい生活リズム

小山明子さんは朝7時半に起床し、昼間はお庭の花の手入れや読書、友人との活動に時間を費やします。

夜はドラマやニュースを観て、だいたい0時から1時には就寝するという規則正しい生活を心がけています。

朝昼晩と3食きちんと食べることも大切な習慣だと語っており、基本的な生活リズムを崩さないことが健康の秘訣のようです。

週1回のプールと多彩な趣味

週1回のプール通いに加え、コーラス教室や麻雀の女子会、さらには一口馬主まで楽しんでいるそうです。

特に若い人たちと会うことで気持ちが若返ると小山明子さんは語っています。

フルート奏者の吉川久子さんとも親しくしており、「妹みたい」と言っていたら息子に「お母さんには娘みたいな年だよ」と突っ込まれたエピソードも披露しています。

こうしたユーモアあふれるやりとりからも、小山明子さんの明るい人柄が伝わってきますよね。

美容へのこだわりも健在

週に1度の美容院通いと、月に1度のネイルやエステも欠かさないとのことです。

「人前に出る仕事ですから、着るものや美容には気を使いたい」という信念は90歳になっても変わっていません。

女優としての意識を持ち続けることが、心身の若さを保つ原動力になっているのかもしれません。

孫やひ孫の前でもいつも美しくいたいという思いが、小山明子さんの日々の活力につながっているのでしょう。

地域活動やボランティアへの参加

小山明子さんは海岸清掃やお花見、上映会、防災訓練といった町内会の活動にも積極的に関わってきました。

「有名な俳優さん、女優さんでそこまでする人はおそらくいらっしゃらない」と言われるほどの地域貢献です。

東日本大震災以降は、被災地の福島県大熊町の教育委員会に本を寄贈するなどボランティア活動にも携わり、交流は現在も続いています。

年齢を重ねて以前ほどは参加できなくなったそうですが、社会とのつながりを大切にする姿勢は変わっていません。

コロナ禍のうつ病と家族の支え

小山明子さんは2021年、人生で2度目となるうつ病を発症しました。

コロナ禍で講演などの仕事が中止になり、収入が途絶えたことが直接の原因でした。

経済的不安がうつ病を引き起こした経緯

それまで仕事が途切れることなく続いていた小山明子さんは、お金に対して無頓着な面がありました。

個人事務所の経理を信頼する友人に任せていたところ、ある日「小山さん、通帳にはもうこれだけですよ」と預金残高を見せられて愕然としたそうです。

毎月の生活費や家の光熱費・維持費を考えると、いずれ預金は底をつき家計は破綻すると気づいた小山明子さんは、「私が生きていると子どもたちの負担になるのでは」と思い詰めてしまいます。

何もする気が起こらず不安で眠れない日が続き、異変に気づいた息子たちに連れられて病院を受診、うつ病と診断されました。

無駄遣いの背景にあった習慣

小山明子さんは「素敵なものを見つけるとすぐカードで買って、無駄遣いもしていた」と振り返っています。

人にごちそうするのが好きで、東日本大震災の被災した子供たちへの支援活動にもお金を使っていました。

さらに、死後に迷惑をかけないようにと生命保険を5つも掛けていたそうです。
一方で、自分自身の老後のお金のことは「てっきり大丈夫」と思い込んでいたとのことです。

家族会議で生活を立て直した過程

うつ病になった小山明子さんを見て、長男の武さん・次男の新さんと嫁2人が家族会議を開きました。

「お母さんのお金の管理を任せてほしい」と申し出て、小山明子さんが「じゃあお願いするわ」と通帳を預けたことで立て直しが始まります。

お小遣い制への移行・口座整理・クレジットカード解約・保険の絞り込みといった具体策が次々と実行され、不安の元がなくなったことでうつ病も改善していきました。

つらい6ヶ月間ではありましたが、家族の絆が深まるきっかけになったのです。

肺がんと心臓病を乗り越えた闘病

小山明子さんは80代以降、乳がん・肺がん・心臓病と複数の大病を経験しています。

80代で発症した乳がんと肺がん

小山明子さんは80代のうちに乳がんと肺がんを経験しました。

治療を受けながらも活動的な日々を続けており、この時点では大きく体調を崩すことなく回復に向かっています。

ただ、がんの経験は小山明子さんの人生観に少なからず影響を与えたようです。

「免疫を上げるためにも楽しいことをたくさんしよう」と心がけるようになったのは、闘病を経たからこその気づきだったのでしょう。

2024年に肺がん再発と心臓病を同時治療

2024年には肺がんが再発してステージIVと診断され、さらに心臓の病気も見つかりました。

放射線治療を受けた小山明子さんは「残りの時間が計算できる人生だ」と感じたそうです。

それでも悲観するのではなく、「何年単位の人生だと思っているから、その間、絶対に元気で楽しく生きてやる」と前向きに考えを切り替えました。

転んでしまった時も「この程度で済んでよかった。怪我をしなくてよかった」とすぐにプラス思考に持っていける強さを見せています。

90歳で初めて死を意識したという告白

小山明子さんは致知のインタビューで、「90代にして初めて死を考えた」と明かしています。

80代の頃はまだ死は先だと思っていたものの、肺がんの再発と心臓病の診断を受けて「ああ、私はいずれ死ぬ。近い将来、死がやってくるな」と強く感じたのだそうです。

しかしこの意識が悲壮感につながるのではなく、むしろ「残された時間を元気に楽しく過ごす」というエネルギーに変わっているところが小山明子さんらしいですよね。

完治はしていないものの体調は良好で、孫やひ孫との時間を大切にしながら過ごしています。

大島渚監督を17年間介護した献身

小山明子さんが経験した最大の試練の一つが、夫・大島渚監督の17年間にわたる介護生活でした。

1996年の脳出血で突然始まった介護

1996年、大島渚さんが脳出血で倒れました。

小山明子さんは当時61歳で、仕事も家庭も順調だった日々が一変したのです。

「突然どん底に突き落とされる」という表現がまさにぴったりの状況で、以来、女優業から距離を置いて介護に専念する生活が始まりました。

大島渚さんは2013年1月15日に80歳で亡くなるまで闘病を続け、小山明子さんはその間ずっと献身的に支え続けたのです。

介護うつを乗り越えた過去

17年間の介護生活の中で、小山明子さんは1度目のうつ病(介護うつ)を経験しています。

長期にわたる介護の負担は想像を絶するもので、心身ともに追い詰められた時期がありました。

しかし「主人の命が大事。それ以外のものは何もいらない」という強い思いで乗り越え、介護に喜びを見出すようにまでなったそうです。

この経験は2008年に著書「パパはマイナス50点」としてまとめられ、日本文芸大賞エッセイ賞を受賞しています。

「この人の幸せが私の幸せ」という信念

小山明子さんは介護生活について「この人の幸せが私の幸せ。17年の介護生活に悔いなし」と語っています。

大島渚さんの介護を通じて得た経験は、その後の講演活動にも生かされることになりました。

介護に関する講演は全国各地で行われ、同じ境遇にある人たちの大きな励みとなっています。

大島渚さんが亡くなった後も、その介護経験を社会に還元し続ける姿は多くの人の心を打っていますよ。

戦争体験から女優デビューまでの半生

小山明子さんの人生の原点には、幼少期の戦争体験があります。

千葉で生まれ朝鮮や大阪を転々とした幼少期

小山明子さんは1935年に千葉県で生まれ、2歳のときに父親の仕事の関係で朝鮮に渡り、3歳から東京で暮らすようになりました。

4人の兄に囲まれた紅一点で、「おてんばで、物おじしない活発な女の子」だったそうです。

戦争が始まったのは小学校に入学した年で、兄たちは集団疎開、小山明子さんは母親の実家がある大阪・池田に縁故疎開しました。

しかし近くに軍需工場があり、学校の帰り道に機銃掃射に遭うという壮絶な体験をしています。

母親の死と横浜での再出発

「どうせ死ぬなら家族一緒に」と母親が判断し、一家で埼玉県の鶴瀬村(現・富士見市)に疎開しました。

終戦を迎えてほっとしたのも束の間、戦時中の体調悪化がたたって母親が亡くなってしまいます。

母親の死後、一家で横浜の鶴見に引っ越しました。

すぐ上の兄が西部劇の映画によく連れて行ってくれたそうで、これが後の女優人生につながる映画との出会いになったのかもしれません。

松竹にスカウトされて女優デビュー

高校卒業後、大谷学園横浜ドレスメーカー女学院に入学した小山明子さんは、学園のファッションショーで雑誌「家庭よみうり」のカバーガールに抜擢されます。

これが松竹の目に留まり、スカウトされて映画界への道が開けました。

ただ、芸能界入りには父親が大反対したそうです。

それでも意志を貫き、1955年に映画「ママ横をむいてて」で女優デビューを果たしました。
「あのときのことを思えば何だってできる」という戦争体験に裏打ちされた強さが、小山明子さんの人生を切り開いてきたのです。

小山明子の孫と大島渚一家の総まとめ

  • 小山明子の孫は5人で、ひ孫が1人いる大家族
  • 2025年8月の徹子の部屋で孫の結婚と家族写真を公開
  • 孫の1人が2025年3月に結婚し、4世代が揃う家族に
  • 長男・大島武は月1回の焼き鳥デートで母を支える
  • 次男・大島新は都内在住でたまに手料理を振る舞う
  • 嫁の知子真裕美が家計管理を全面的に担う
  • お小遣い制・カード解約・保険見直しで家計を再建
  • 夫・大島渚は映画監督で1960年に結婚
  • 大島渚が1996年に脳出血で倒れ17年間介護に専念
  • 介護うつを克服し著書『パパはマイナス50点』で受賞
  • コロナ禍で2度目のうつ病を発症するも家族の支えで回復
  • 肺がんステージIV・心臓病を経験するも前向きに生活
  • 週1回のプール・コーラス・麻雀・一口馬主と多趣味
  • 戦争体験で培われた強さが人生のあらゆる困難を支えた
  • 90歳を超えてなお孫やひ孫に囲まれ充実した日々を送る

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