石川佳純の両親プロフィール|自宅に卓球場を作った父と国体選手の母

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石川佳純の両親プロフィール|自宅に卓球場を作った父と国体選手の母

石川佳純さんは、五輪3大会連続メダルという偉業を成し遂げた、日本卓球界のレジェンドです。

2023年5月の引退会見でも多くのファンを感動させましたよね。

そんな石川佳純さんの活躍を陰で支えたのが、卓球日本代表経験のある父親・公久さんと、元国体選手の母親・久美さんという最強の両親でした。

自宅の1階に約40畳もの卓球場を設けるほど、家族ぐるみで卓球に向き合ってきた石川家のエピソードは圧巻です。

この記事では、父親・公久さんと母親・久美さんのプロフィールや職業、出身地、妹・梨良さんの情報まで、石川佳純さんの家族について詳しくご紹介します。

記事のポイント

①:父・公久さんはミックスダブルス日本代表経験のある元エリート卓球選手

②:母・久美さんは国体出場経験を持つ元実業団卓球選手

③:自宅に約40畳の卓球場を設置した父親の大胆な決断

④:妹・梨良さんも青山学院大学卓球部主将を務めた実力者

石川佳純の両親の職業と経歴を深掘り

  • 父親・公久さんのプロフィールと職業
  • 父親・公久さんが建てた自宅40畳卓球場
  • 母親・久美さんのプロフィールと卓球経歴
  • 石川佳純と母親・久美さんの親子対決
  • 両親の子育て方針と英才教育なしの理由

父親・公久さんのプロフィールと職業

項目 内容
名前 石川公久(いしかわ きみひさ)
生年月日 1963年(昭和38年)
2026年03月13日現在の年齢 62歳
出身地 島根県松江市
最終学歴 福岡大学(卓球部)
卓球実績 ミックスダブルス日本代表
職業 広告代理店(読売広告西部)重役
現在の居住地 福岡(単身赴任)・週末は山口市

石川佳純さんの父親・公久さんは、ただの「卓球好きなお父さん」ではありません。

ミックスダブルスの日本代表という輝かしい実績を持つ、本物のアスリートでした。

島根県松江市に生まれた公久さんは、幼いころから体を動かすことが大好きで、卓球にのめり込んでいきます。

始めてからわずか1年で松江市の小学校卓球大会を制覇し、中学でも卓球に打ち込み、高校ではキャプテンとしてチームを率いました。

その後、福岡大学に進学し、九州屈指の強豪卓球部でさらに腕を磨いていきます。

ここで後に妻となる久美さんと出会うことになります。

大学卒業後は、父・四郎さんの仕事に憧れ、広告代理店に就職しました。

卓球用品メーカーの「ニッタク」のクラブ(福岡)に所属しながら卓球を継続し、その後の転勤で山口市に移ってからも地元のクラブに入り卓球を続けていました。

仕事と好きなことを高いレベルで両立してきた、そのバイタリティは石川佳純さんにも受け継がれているのかもしれません。

現在は読売広告西部の重役を務めており、福岡で単身赴任をしながら週末は山口市の自宅に帰って地域の子どもたちへの卓球指導を行っているとのことです。

全国を講演で回るなど、卓球の普及活動にも積極的に関わっています。

退職後の夢として公久さんが語っているのは「石川佳純以上の選手を育てること」です。

愛娘が作り上げた偉大な実績を超える選手を、自分の手で生み出したいという情熱は、本当に卓球が好きで好きでたまらない人のことばですよね。

公久さんが引退会見でこの夢を語ったとき、佳純さんにそっくりな人懐っこい笑顔を見せていたという話も、なんだかほっこりします。

石川佳純さん本人のプロフィールも確認

項目 内容
本名 石川佳純(いしかわ かすみ)
生年月日 1993年2月23日
2026年03月13日現在の年齢 33歳
出身地 山口県山口市
血液型 O型
身長 157cm
体重 49kg
主な成績 五輪3大会連続メダル(ロンドン銀・リオ銅・東京銀)、全日本選手権3度優勝
引退 2023年5月
現在の活動 全農オフィシャルアンバサダー

石川佳純さんは1993年2月23日、山口県山口市生まれです。

ロンドン・リオ・東京と3大会連続でオリンピックに出場し、団体戦でメダルを獲得し続けた日本女子卓球の中心的存在でした。

2023年5月に引退し、現在は全農のオフィシャルアンバサダーとして活動しています。

引退後は夏フェスに行ったり教習所に通うなど、選手時代とはまったく違う生活を楽しんでいる姿がSNSで話題になっていますよね。

父親・公久さんが建てた自宅40畳卓球場

石川佳純さんの卓球人生を語るうえで外せないエピソードがあります。

それが、父親・公久さんが自宅の1階に約40畳の卓球場を設置したという話です。

きっかけは、石川佳純さんが小学校中学年の頃のこと。

当時の母・久美さんは育児と卓球の両立で心身ともにギリギリの状態でした。

遠くの練習場まで送り迎えをしながら家事育児もこなすのは、相当な負担だったはずです。

そこで公久さんが考えたのが「家に卓球場を作ってしまえばいい」という発想でした。

楽観的な性格で知られる公久さんらしい、一見豪快な決断ですよね(笑)。

後に母・久美さんは公久さんのことを「いつも先のことを考えない。後から苦労する」と苦笑いしながら語っています。

確かに家の1階に40畳もの卓球場を作るというのは、普通の家庭ではなかなか踏み切れない決断ですよね。

公久さん自身は「二人とも趣味は卓球だから、そんな家にしたら老後を楽しめるし、卓球好きの友人も遊びに来ることができる」と語っており、長期目線での判断だったことがわかります。

老後のことまで考えた投資として卓球場付きの家を建てるというのは、むしろ合理的な考え方ともいえます。

この自宅卓球場が、石川佳純さんが毎日練習できる環境を生み出し、やがて全日本選手権制覇やオリンピック出場へとつながっていったわけです。

練習環境というのは才能と同じくらい重要なもので、この決断がなければ石川佳純さんの卓球人生は違うものになっていたかもしれません。

2001年に新築した山口市の自宅にこの卓球場は設置されており、現在も週末に公久さんが帰省した際は地域の子どもたちへの指導の場として活用されているそうです。

「一見無謀な決断が、日本の卓球界を変えた」と言っても過言ではないエピソードだと思います。

考えてみると、自宅に卓球場を持つ家庭というのは日本全国でもほとんど存在しないはずです。

それをマイホームの新築時に盛り込んでしまうという発想力と行動力は、卓球に対する家族全員の本気度を物語っています。

石川佳純さんが長年にわたって世界のトップで戦い続けられた背景には、この「いつでも練習できる環境」が大きく貢献していたのは間違いないでしょう。

母親・久美さんのプロフィールと卓球経歴

項目 内容
名前 石川久美(いしかわ くみ)
出身地 福岡県福岡市
最終学歴 福岡大学(卓球部)
卓球実績 国体出場(育児中に復帰)
職業 主婦(元実業団卓球部所属)
現在の居住地 山口市

石川佳純さんの母親・久美さんは、ハーフと間違えられるほどの美人として有名ですが、実際は純粋な日本人です。

福岡県福岡市出身で、福岡大学の卓球部に所属していました。

このとき父・公久さんと出会い、後に結婚します。

大学卒業後は福岡市内の自動車メーカーの実業団卓球部に所属し、卓球を続けていましたが、公久さんとの結婚を機に会社も卓球もすっぱりとやめて山口市に移住しています。

石川佳純さんが誕生した後の久美さんの育児への向き合い方が、また凄まじいものがありました。

「赤ちゃんの頃は1分以上泣かせたことがない」というほど、自分の時間のすべてを育児に捧げていたといいます。

こういうことを言える人というのは本当に実践しているわけで、その徹底ぶりには頭が下がります。

そんな中、山口県から国体代表として久美さんに声がかかります。

育児を最優先にしながら練習を再開し、見事に国体出場を果たしたわけですから、久美さんの精神力と体力は並外れています。

子育てをしながら自分の競技レベルを維持し、代表に選ばれるというのは、一般的には相当ハードルが高い話です。

石川佳純さんを卓球に誘ったのも久美さん本人で、自分が監督を務めていた卓球クラブに娘を誘ったのがはじまりだったといいます。

大阪に出るまでは石川佳純さんのコーチのような存在として寄り添い、現役時代には年間約30試合にもおよぶ海外遠征すべてに帯同して、日本から炊飯器とお米を持ち込んで食事面でサポートし続けました。

コーチではなく「お母さん」として娘を支え続けた久美さんの姿は、日本中の多くの母親の胸を打ちましたよね。

久美さんの卓球人生を振り返ると、学生時代から実業団まで本格的にキャリアを積み、育児しながら国体にも復帰したという経歴は、一般的な感覚ではとても想像のつかないものがあります。

「石川佳純さんが卓球で世界一になれたのは、お母さんのDNAと指導があってこそ」という見方をするファンも多く、実際に久美さんの存在なしには現在の石川佳純さんはなかったと言っても過言ではないでしょう。

石川佳純と母親・久美さんの親子対決

石川佳純さんの卓球人生で最も感動的なエピソードのひとつが、小学5年生のときに実現した母親との公式戦での親子対決です。

これは単なる練習ではなく、実際の公式試合で石川佳純さんと母・久美さんが対戦したというものです。

当時の久美さんはまだ国体出場経験のある実力者です。

一方の佳純さんは小学生ですから、普通に考えれば大人が有利なはずです。

しかし結果は、石川佳純さんが母親に勝利というものでした。

そしてこの親子対決を機に、久美さんは現役引退を決意します。

感動的なのはここからで、久美さんはそのことを娘にずっと伝えていなかったのです。

石川佳純さんは引退後に出演したトーク番組で、MCの方から初めてこの事実を聞かされて驚いたといいます。

お母さんが自分との対決を機に引退を決意したなんて、娘としては知らなかった——それだけ久美さんは娘に余計な「重荷」を背負わせたくなかったのでしょう。

小学生の佳純さんに「自分との試合でお母さんが引退した」という事実を知らせれば、それがプレッシャーになってしまうかもしれません。

静かにそのことを胸の内に秘め、その後は娘を支える役割に徹した久美さんの覚悟は、本当に言葉がありません。

石川佳純さんの才能を誰よりも早く見抜き、誰よりも深く信じ、そして潔く道を譲った——久美さんのような母親がいたからこそ、石川佳純さんは「日本卓球界のレジェンド」になれたのだと思います。

親子対決がもたらしたもの

卓球の公式戦で親子が対戦するというのは、よく考えると非常に珍しい状況です。

久美さんが卓球を継続していて、かつ佳純さんも大会出場レベルに達していたからこそ実現したシナリオでした。

それだけ石川家全員が卓球に真剣に向き合っていたということでもあります。

この対決を経て引退した久美さんは、その後は石川佳純さんの年間約30試合の遠征にサポートスタッフとして帯同し続けます。

選手としてのキャリアを手放した分のエネルギーを、すべて娘への支援に注ぎ込んだわけです。

こういう親がいてくれれば、どんなに遠い場所でも孤独を感じずに戦えるだろうと思います。

両親の子育て方針と英才教育なしの理由

石川佳純さんの両親に関して特筆すべきなのは、子育て方針の「のびのびスタイル」です。

公久さんは引退会見後のインタビューでこう語っています。

「卓球をやりなさいと言ったことは1度もない」

これはなかなか衝撃的な言葉ですよね。

現代のスポーツ強豪選手の多くが幼いころから親の熱心な指導のもとで育っているケースも多い中、石川家はまったく違うアプローチを取っていました。

母・久美さんも同様の考え方でした。

「娘の方から自発的に始めることを狙っていた」というのが久美さんの本音です。

スポーツである以上、行き詰まったり困難にぶつかったりする時が必ず来ます。

もし親が「やりなさい」と言って始めたものなら、その壁にぶつかったときに「ママがやれと言ったから」「元々はやりたくなかった」という逃げ道ができてしまう。

本人が自分の意思で選んだものなら、困難にぶつかっても自分で乗り越えようとする——久美さんはそこまで考えていたのです。

実際、小学1年生になったある日、佳純さんは自ら「ママ、打たせて」と言ってきたそうです。

狙い通りに子どもの方から動き出した瞬間ですよね。

練習を始めて3か月後には、県大会8歳以下の部で準優勝を果たしています。

中学から親元を離れて大阪での生活を始める際も、公久さんは「自分が好きで選んだ卓球の道だから行ってきなさい」と温かく送り出しています。

管理するのではなく信じて見守るスタイル——それが石川家の子育ての核心にありました。

現代の親子関係においても、これほどの信頼感と距離感の取り方を実践するのは難しいことですよね。

石川佳純さんが30歳まで日本代表として世界で戦い続けられた精神的なベースには、このような両親の育て方が深く根付いているのだと思います。

石川佳純の両親の出身地と現在の家族構成

  • 石川佳純が語る父・公久さんへのエピソード
  • 父親・公久さんの出身地と現在の活動
  • 母親・久美さんの出身地と現在
  • 妹・梨良さんのプロフィールと現在
  • HKT48・豊永阿紀さんとのはとこ関係
  • NHKキャスター三上大進さんとのはとこ関係

石川佳純が語る父・公久さんへのエピソード

石川佳純さんと父・公久さんの関係は、引退後も変わらず深い絆で結ばれています。

石川佳純さん自身が過去に語っていたのが、「現役時代も試合の後にアドバイスをLINEで送ってきてくれる」という話です。

現役のビジネスマンであり、かつ元日本代表の目線から娘の試合を見てフィードバックを送り続けるというのは、「公久さんは父親でありながらコーチでもあった」ということですよね。

石川佳純さんが中学から親元を離れた後も、公久さんは離れた場所から娘を見守り続けました。

同居してべったりするのではなく、適切な距離感で関わり、必要なときに的確なアドバイスを送る。

言葉にすると簡単ですが、実践するのはなかなか難しいですよね。

特に元アスリートの親というのは自分の経験や知識から「もっとこうすべき」という気持ちが先走りがちです。

そのバランスを保ちながら30年近く娘を支え続けた公久さんは、卓球選手としてだけでなく親としても超一流だったのだと思います。

2023年の引退会見で公久さんが「石川佳純以上の選手を育てないけんしね」と語った言葉は、現在も多くのファンの心に残っています。

愛娘にそっくりな人懐っこい笑顔でそう語る公久さんの姿を見て、涙をこらえたファンも多かったはずです。

そしてその後も石川佳純さんが「父から試合のアドバイスをもらっていた」と語るたびに、公久さんの卓球へのこだわりと娘への愛情が伝わってきます。

この父と娘の卓球を通じた絆は、石川佳純さんが引退した今も変わらず続いているのでしょう。

公久さんが現役の佳純さんに試合後のアドバイスを送り続けるというスタイルは、「干渉しすぎず、でも必要なときは必ず関わる」という理想的な親子の距離感だったと思います。

多くのスポーツ選手が親との関係で苦労するなか、石川佳純さんが父親について語るときは常に温かいトーンが伝わってきます。

試合のアドバイスを送り続けるほど、公久さんが娘の卓球を細かく見ていたということは、逆に言えば父親にとっても佳純さんの試合を見ること自体が生きがいのひとつだったのかもしれませんね。

父親・公久さんの出身地と現在の活動

父親・公久さんの出身地は島根県松江市です。

山陰地方を代表する都市で、国宝の松江城でも知られる歴史ある街ですね。

公久さんはここで生まれ育ち、幼少期から体を動かしながら卓球の才能を磨いていきました。

父方の祖父・石川四郎さん(昭和6年=1931年生まれ)も島根県松江市の出身です。

四郎さんは工業高校を卒業後、地元の広告代理店に営業マンとして就職し、その営業力で会社を支えるほどの優秀な人材だったといいます。

公久さんが就職先として広告代理店を選んだのも、この父・四郎さんへの憧れからだったとされています。

親から子へと受け継がれた「仕事観」があったわけで、石川家はスポーツだけでなく職業選択においても一族のつながりを大切にしてきたことがわかります。

現在の公久さんは読売広告西部の重役を務めながら、福岡で単身赴任を続けています。

週末は山口市の自宅に帰り、自宅の卓球場で地域の子どもたちに卓球を教えているそうです。

全国を講演でまわる活動も行っており、引退後の石川佳純さんをテーマにした講演なども行っている可能性があります。

現役のビジネスマンでありながら週末は卓球コーチとして、さらに全国講演も行うというハードスケジュールを楽しんでこなしているのが公久さんらしいですよね。

退職後は「石川佳純以上の選手を育てること」という夢に向けて、本格的に指導の世界に飛び込む可能性が高いと思われます。

公久さんが松江市で生まれ育ち、福岡大学、そして山口市への転勤、現在は福岡で単身赴任という流れを経てきた経歴は、島根・福岡・山口という西日本各地を生き方でつないできた人生といえますね。

単身赴任という形でも家族を離れながら仕事に向き合い、週末には山口に帰って地域貢献を続ける公久さんの姿勢は、仕事も趣味も家族もすべてに全力で向き合うという石川家の気風そのものを体現しているように感じます。

松江市から山口市への転勤、そして福岡での単身赴任と、人生のさまざまな場面で環境の変化を柔軟に受け入れてきた公久さんの生き方は、石川佳純さんが13歳で大阪に出ていったときの強さにもつながっているのかもしれません。

母親・久美さんの出身地と現在

母親・久美さんの出身地は福岡県福岡市です。

福岡大学の卓球部で父・公久さんと出会い、大学卒業後は福岡市内の自動車メーカーの実業団卓球部に所属して卓球を続けていました。

公久さんとの結婚を機にすべてをやめて山口市に移住し、その後は家族のために自分の時間を惜しみなく注いできた久美さん。

ハーフに見える美人として地元でも知られた存在で、実際に「外国の方ですか?」と聞かれることもあるそうですが、純粋な日本人です。

現在は山口市の自宅に暮らしており、石川佳純さんの引退後は久美さん自身の活動についての公表はありません。

現役時代には年間約30試合もの海外遠征すべてに同行し、日本から炊飯器と日本のお米を持ち込んで食事サポートをしていたほどの献身ぶりでした。

卓球の遠征というのは世界中を飛び回るものであり、コーチやスタッフとして帯同するだけでも相当な体力と精神力が必要です。

久美さんはそれを母親の立場で何年も続けてきたわけですから、本当に頭が下がります。

娘の引退後は、ようやく久美さん自身の時間が戻ってきたのかもしれませんね。

山口市の自宅に設置された40畳の卓球場で、夫婦で久しぶりに向かい合ってラケットを握っている姿——なんだか素敵な光景が目に浮かびます。

石川家の「卓球を通じた絆」は、娘の引退後も変わらず続いているのでしょう。

久美さんが引退後にどのような日常を過ごしているかは公表されていませんが、長年にわたって娘のそばで走り続けてきた分の時間を、今はゆっくりと自分のために使えているといいなと思います。

また久美さんについて注目すべきなのは、娘が世界で戦っているあいだ、影で黙々とサポートを続けてきたその姿勢です。

表に出ることなく、主役はあくまでも石川佳純さんであるという意識を徹底していた久美さんの在り方は、ひとつのモデルとして多くの方に語り継がれています。

自分が国体選手として活躍した過去を持ちながら、娘のサポート役に徹した久美さんの姿は、卓球への愛情と娘への愛情が重なり合った結果だったのではないかと感じます。

妹・梨良さんのプロフィールと現在

項目 内容
名前 石川梨良(いしかわ りら)
生年 1997年頃(推定)
2026年03月13日現在の年齢 28歳
佳純さんとの関係 4歳年下の妹
学歴 JOCエリートアカデミー → 青山学院大学(卓球部主将)
卓球引退後 一般企業勤務・石川佳純サポートスタッフ

石川佳純さんには、4歳年下の妹・梨良(りら)さんがいます。

梨良さんもまた、姉・佳純さんと同じく幼少期から卓球を始め、中学入学と同時に実家を出て寄宿生活をスタートさせました。

石川家の子どもたちはそろって「卓球のために家を出る」という同じ道を歩んでいます。

高校ではJOCエリートアカデミーに入校するほどの実力者で、これは日本のジュニアスポーツ選手の中でもトップクラスが集まるエリートプログラムです。

その後は青山学院大学に進学し、卓球部の主将まで務めました。

姉が世界のトップを走り続ける中で、妹も国内トップレベルの実力を持ち続けていたわけです。

石川家の「卓球DNA」の強さを改めて実感します。

大学卒業後は現役を引退し一般企業に就職しましたが、その後は姉・佳純さんのマネージャーやサポートスタッフとして、試合や遠征に同行していたとの情報があります。

自分の選手キャリアを手放した後、今度は姉を支える立場に回るというのは、梨良さんにとっても大きな決断だったと思います。

梨良さんは石川佳純さんを支える重要な存在のひとりだったと、関係者の間でも語られています。

姉妹でありながら、支える側と支えられる側に回って一緒にキャリアを歩んできた——石川家の絆の深さを感じる関係性ですよね。

現在は姉の引退を機に、梨良さん自身も新しいステージに進んでいることと思います。

石川家の子どもたちが全員、幼少期から卓球一本で打ち込んできた背景には、両親の環境づくりと「自分で選んだ道は自分で責任を持て」という教育方針があったことは明らかです。

梨良さんが姉の現役期間中にサポートスタッフとして関わっていたというのは、梨良さんが単なる「選手の家族」ではなく、プロとしての姿勢でサポートに向き合っていたということを示しています。

スポーツ選手の周囲には多くのスタッフが関わりますが、そこに姉妹という関係のひとりが加わっていたという事実は、石川家の絆の深さをよく表していますよね。

HKT48・豊永阿紀さんとのはとこ関係

石川佳純さんには、意外な有名人のはとこがいます。

それが、HKT48の豊永阿紀さんです。

豊永阿紀さんはラジオで「卓球の石川佳純選手がはとこなんですよ。お母さん同士がいとこで、ひいおじいちゃんが同じなんです」と自ら明かしています。

つまり、母方の曽祖父・小川虎五郎さんを通じてつながるはとこ関係ということになります。

石川佳純さんのお母さん・久美さんの旧姓は「小川」で、この小川家の血縁を通じてHKT48メンバーとつながっているわけです。

豊永阿紀さんはその後、石川佳純さんと実際に対面した際に「きょう、はとこの佳純ちゃんとようやく会えました」とSNSに投稿しています。

2人の仲良し2ショットが公開されており、その写真を見ると確かにどことなく雰囲気が似ていて、血のつながりを感じさせます。

卓球界のレジェンドとアイドルグループのメンバーが実は親戚だったというのは、なかなかインパクトのある話ですよね。

豊永阿紀さんは2014年にHKT48の研究生として活動を始め、現在もグループで活躍している実力派メンバーです。

芸能界と卓球界でそれぞれ異なる道を歩みながら、血縁でつながっているふたり——なんだか縁というのは不思議なものだなと感じます。

石川佳純さんが引退した現在も、豊永阿紀さんとの交流が続いているといいですよね。

ちなみに「はとこ」というのは親同士がいとこ関係にある場合の呼称で、一般的には多少遠い関係に感じられますが、2人はSNSで互いを「はとこの佳純ちゃん」「はとこの阿紀ちゃん」と呼び合えるほどの親しみがあるようです。

著名人同士がはとこ関係にあるケースは世間的にも話題になりやすいですが、2人の場合は実際に対面して写真まで公開しているので、血縁の事実だけでなくリアルなつながりとしても確認されていますよね。

スポーツ選手とアイドルという異なる世界で活躍する2人が、血縁を通じてほっこりするエピソードを作ってくれているのが、なんだかあたたかいなと感じます。

NHKキャスター三上大進さんとのはとこ関係

石川佳純さんには、もうひとり有名人のはとこがいます。

NHKのキャスター・リポーターとして活躍する三上大進さんです。

三上大進さんのお母さんが、石川佳純さんの父・公久さんのいとこにあたる関係です。

つまり父方の曽祖父・石川晋さんを通じてつながるはとこ関係ということになります。

石川佳純さん自身も「そっくりとよく言われますw」と笑いながらコメントしており、周囲からも2人の顔が似ていると言われることがあるようです。

実際に比較してみると、確かに清潔感があって誠実そうな印象が共通していますよね。

三上大進さんはNHKで長年にわたって活躍しているキャスター・リポーターで、報道の世界でキャリアを積んできた人物です。

スポーツ界で頂点に立った石川佳純さんと、メディアの世界でキャリアを積む三上大進さんが父方のはとこというのも、石川家の人材の多様さを感じさせます。

父・公久さん側の親族に優秀な人物が多いのも、島根県松江市という土地柄や石川家のDNAによるものなのかもしれません。

こういった家系のつながりを知ると、石川佳純さんの卓球への情熱や誠実な人柄のルーツが、ご両親や石川家全体の気風にあるのだと改めて感じます。

両親から受け継いだ体力と精神力、家族ぐるみの卓球への向き合い方——それらすべてが石川佳純さんを「世界で戦えるアスリート」へと育て上げた原点だったのでしょう。

また三上大進さんが「NHKで活躍するキャスター」という社会的信頼度の高い職種であることも、石川家の親族がさまざまな分野で秀でた人材を輩出していることを示す興味深い事実です。

スポーツ・メディア・ビジネスと、石川家の親族たちはそれぞれの世界でしっかりとキャリアを築いているのが印象的ですよね。

血のつながりだけでなく、それぞれが自分の道をしっかりと歩んでいるのが、石川家の系譜の強さを感じさせます。

三上大進さんと石川佳純さんが「そっくり」と言われる背景には、共通の祖先から受け継いだ何かがあるのかもしれませんね。

顔立ちの似方というのは遺伝的なものが大きく影響するとされており、父方の血がつながる2人が似た雰囲気を持っているのはある意味で自然なことかもしれません。

こういった親族のエピソードを知ることで、石川佳純さんという人物の奥行きがさらに広がってくる気がします。

石川佳純の両親と家族まとめ

  • 石川佳純さんの父親は石川公久(きみひさ)さん、島根県松江市出身で1963年生まれ
  • 公久さんはミックスダブルスの日本代表経験を持つ元エリート卓球選手
  • 大学卒業後は広告代理店(読売広告西部)に就職し、現在は重役を務める
  • 現在は福岡で単身赴任中で、週末は山口市の自宅に帰り卓球指導と全国講演を続けている
  • 退職後の夢は「石川佳純以上の選手を育てること」と公言している
  • 石川佳純さんの母親は石川久美(くみ)さん、福岡県福岡市出身の元実業団卓球選手
  • 久美さんは国体出場経験を持ち、育児中に競技復帰した精神力の持ち主
  • 小学5年生の公式戦で娘・佳純さんと対決し、敗れたことを機に卓球を引退
  • その事実を久美さんは娘に長年伝えておらず、引退後のトーク番組で初めて発覚した
  • 両親は自宅の1階に約40畳の卓球場を設置した伝説の英断で知られる
  • 父も母も「卓球をやりなさいと言ったことは1度もない」という自発性を大切にした子育てを実践した
  • 妹・梨良さんもJOCエリートアカデミーを経て青山学院大学卓球部主将を務めた実力者
  • 母方のはとこにHKT48・豊永阿紀さんがおり、2人は実際に対面して2ショットを公開済み
  • 父方のはとこにNHKキャスター・三上大進さんがおり、石川佳純さん本人も「そっくりと言われる」と語る
  • 石川家は両親・妹ともに卓球エリートの家系であり、その環境が世界的アスリートを生み出した

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