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「そばにいるね」のメガヒットで知られるシンガーソングライターの青山テルマさん。バラエティ番組での底抜けの明るさとぶっちゃけキャラで多くのファンを魅了している一方、その生い立ちは壮絶なものでした。
実はデビューしブレイクした2008年、疎遠だった父親が大阪で事件を起こして逮捕されていたことをご存知でしょうか。
父親はトリニダード・トバゴと日本人のハーフで、青山テルマさんが2歳の時に両親は離婚。幼少期からほとんど交流がなかった人物です。この記事では父親が起こした事件の全貌と、母子家庭でいじめや極貧を乗り越えてきた青山テルマさんの壮絶な生い立ちを徹底解説します。
記事のポイント
①:父親が2008年に大阪で牛刀事件を起こした
②:父親はハーフで青山テルマが2歳のとき離婚
③:いじめと極貧を経て上智大学に合格した
④:ブレイク後に母親へ家を贈り2024年に結婚
青山テルマの父親が起こした事件と家族の真実
- 青山テルマのプロフィールと家族構成
- 父親はトリニダード・トバゴと日本人のハーフ
- 2歳での両親の離婚と母子家庭の始まり
- 2008年に父親が起こした事件の全貌
- 逮捕後の判決と青山テルマへの影響
- 現在の父親との関係はどうなっている
青山テルマのプロフィールと家族構成
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まず青山テルマさんのプロフィールと家族構成を確認しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 青山テルマ(あおやま てるま) |
| 生年月日 | 1987年10月27日(2026年02月27日現在38歳) |
| 出身地 | 奈良県大和高田市 |
| 職業 | シンガーソングライター、タレント |
| 国籍 | 日本国籍 |
| ルーツ | クォーター(祖父がトリニダード・トバゴ人) |
| 最終学歴 | 上智大学国際教養学部卒業 |
| デビュー | 2007年「ONE WAY」でメジャーデビュー |
| 代表曲 | 「そばにいるね feat. SoulJa」(ギネス世界記録認定) |
| 趣味・特技 | 料理、英会話、ムーンウォーク、写真、アート |
| 婚姻状況 | 2024年8月に一般男性と結婚 |
続いて、青山テルマさんの家族構成を表でまとめます。
| 続柄 | 名前・情報 | 補足 |
|---|---|---|
| 本人 | 青山テルマ | シンガーソングライター。日本国籍のクォーター |
| 母親 | 青山テルコ | 日本人。シングルマザーとして育てる。清掃の仕事に従事 |
| 父親 | 名前非公開 | トリニダード・トバゴと日本人のハーフ。2歳時に離婚・2008年に逮捕 |
| 兄弟姉妹 | なし | 一人っ子 |
青山テルマさんは1987年10月27日、奈良県大和高田市生まれのシンガーソングライターです。日本国籍を持つクォーターで、祖父がトリニダード・トバゴ人、父親が日本人とトリニダード・トバゴ人のハーフ、母親が日本人という多文化的なルーツを持っています。
2007年に「ONE WAY」でメジャーデビューを果たすと、翌2008年には「そばにいるね feat. SoulJa」が爆発的なヒットを記録しました。この楽曲は着うたフルとして日本史上最多のダウンロード数を更新し続け、ギネス世界記録にも認定された伝説的な楽曲です。
バラエティ番組にも積極的に出演するようになった近年は、幼少期の貧乏エピソードをさらっと語るキャラクターが大きな人気を集めています。「おやつが3時にほうれん草だった」「外に咲いている花を食べた」など、驚きのエピソードを次々と披露してきました。
青山テルマさんの家族構成は父親・母親・本人の3人ですが、2歳の時に両親が離婚したため、実質的には母親と二人きりの家庭で育ちました。一人っ子であり、母親との二人三脚の生活が青山テルマさんの人生を形作ってきたといえます。
父親はトリニダード・トバゴと日本人のハーフ
新しい音楽、みんなに届けられてうれしい。ずっと音楽と一緒に生きてきて、これからもそうやって生きていくんだと思う。ありがとう🖤 #青山テルマ
— 青山テルマ (@aoyamateruma) 2024年
青山テルマさんの父親は、トリニダード・トバゴ人と日本人のハーフです。つまり青山テルマさんから見ると祖父がトリニダード・トバゴ出身ということになり、血統的には4分の1が外国の血を引くクォーターにあたります。
トリニダード・トバゴとはどんな国か
トリニダード・トバゴとは、カリブ海に浮かぶ島国で、南米ベネズエラの北東に位置する国家です。アフリカ系・インド系・ヨーロッパ系など多様な民族が混在する多文化国家として知られており、カリプソやソカといった独自の音楽文化が根付いています。レゲエ音楽との結びつきも強いエリアで、青山テルマさんの父親もレゲエに深い愛着を持っていたとされています。
そのため青山テルマさんは肌の色が褐色で、黒人的な外見的特徴を持って生まれました。奈良の地元では非常に目立つ存在でしたが、これが幼少期のいじめの引き金になってしまいます。しかし同時に、青山テルマさんのソウルフルな歌声や音楽的センスのルーツのひとつでもあります。
父親への複雑な思い
「自分はお父さんに似てる。音楽の感性も」と青山テルマさん自身が語っていたことがあります。また、父親の故郷であるトリニダードの料理が好きとも話しており、顔はほとんど覚えていないながらも、どこかで父親の存在を意識していることが伝わってきますよね。
母親は日本人で、父親との馴れ初めや結婚の経緯についての詳細は明かされていませんが、異文化間の結婚を経て生まれた青山テルマさんは、独自の感性と多文化的な背景を持つアーティストとして成長していきます。ちなみに父親は日本在住の時期に、大阪府堺市のレストランで店長として働いていたことが後の事件とも深く関係してきます。
2歳での両親の離婚と母子家庭の始まり

青山テルマさんが2歳という幼い頃に、両親は離婚しています。そのため青山テルマさんには父親の記憶がほとんどなく、「顔も覚えていない」という状態で成長しました。
両親の離婚後は、母親・青山テルコさんが女手一つで青山テルマさんを育てることになります。母親は、シングルマザーとして家計を支えながら、娘の教育と将来に真剣に向き合い続けた方です。テレビ番組などで青山テルマさんが語るエピソードから、その苦労の深さが伝わってきます。
極貧のエピソードが示す家庭の実態
経済的な状況は決して楽ではありませんでした。青山テルマさん自身がバラエティ番組で語った話によれば、おやつの時間に出てきたものがほうれん草だったことや、外に咲いている花を食べたことがあるほどの極貧生活を経験しています。普通の子供が当たり前に経験することができなかった日常が、そこにありました。
小学校の頃に履いていた丈の長いズボンをショートにアレンジして中学生になっても着続けていたというエピソードも語っており、新しい服を買う余裕がない家庭環境だったことが伺えます。
母親はお弁当屋さんでアルバイトをしながら、また後に芸能事務所の清掃の仕事に就きながら、懸命に娘を育てました。芸能事務所で掃除の仕事をしていたことは、のちに青山テルマさんが芸能界へデビューする際に特別な縁を感じさせるエピソードにもなっています。
娘のために選んだ教育という投資
母親が娘のために選んだのは、より良い教育環境でした。肌の色が違うことで地元の学校でいじめにあっていた青山テルマさんを守るため、無理をして大阪のインターナショナルスクールに通わせることにします。この決断が、青山テルマさんの人生を大きく変えていく起点になります。
極貧の中でも子供の可能性を信じ、無理をしてでも最善の環境を与えようとした母親の愛情があってこそ、今の青山テルマさんがいることを忘れてはいけません。父親がいない家庭で、母親は本当に多くのものを背負いながら前へ進んでいたのです。
2008年に父親が起こした事件の全貌
青山テルマさんの父親については、2008年に大きな事件が起きています。ちょうど「そばにいるね feat. SoulJa」が大ヒットし、青山テルマさんが紅白歌合戦への出場を決めたまさにその年のことでした。
まず事件の概要を表でまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生日 | 2008年1月23日 |
| 場所 | 大阪府堺市内のレストラン |
| 動機 | 解雇されたことへの逆恨み |
| 手段 | 牛刀(大型の包丁)を持って店舗に押し入る |
| 逮捕容疑 | 銃刀法違反・殺人未遂(現行犯) |
| 最終判決 | 脅迫・銃刀法違反で有罪(執行猶予付き) |
| 服役の有無 | なし(執行猶予のため) |
事件の発端と経緯
父親は大阪府堺市内のレストランで、雇われ店長として働いていました。しかし在職中にお客さんとのトラブルが相次ぎ、レゲエの音楽を大音量でかけて迷惑をかけるなどの問題行動を繰り返していたとされています。そのため、レストランのオーナー(マスター)から「売り上げを渡すから出ていってくれ」と解雇を告げられます。
この解雇を逆恨みした父親は、2008年1月23日、牛刀(大型の包丁)を持ってそのレストランに押し入りました。店のマスターに突進し、倒れたマスターめがけて何度も牛刀を突き立てようとしたとして、その場で銃刀法違反および殺人未遂の容疑で現行犯逮捕されました。
ネット上に広まる誤情報について
なお青山テルマさんはこの時点で父親とほとんど交流がなく、事件に関与した事実は一切ありません。また青山テルマさん自身がこの事件についてコメントすることもありませんでした。
注意が必要なのは、ネット上では「強盗殺人で服役中」「人を殺した」などの誤った情報が出回っている点です。これらはすべて事実とは異なります。事件の真相は元従業員によるトラブルに端を発した逆恨みの犯行であり、殺人が成立した事実はありません。逮捕されて話題になった時期と、青山テルマさんのブレイクの時期が重なったため、センセーショナルな形で伝わってしまったようです。
逮捕後の判決と青山テルマへの影響
父親が逮捕された後、事件はどのような経緯をたどったのでしょうか。
最終的な判決内容
殺人未遂容疑で現行犯逮捕された父親ですが、その後の捜査の結果、殺人未遂については起訴をまぬがれました。実際に人が死亡していないこと、そして直接の致命傷を与えなかったことなどが理由とみられています。
最終的に父親は脅迫罪と銃刀法違反で起訴され、有罪判決を受けました。ただし刑の内容は執行猶予付きであり、実際に刑務所に服役することはなかったとされています。ネット上で「服役中」という情報が流れていますが、これは誤りです。
青山テルマさん本人への影響
この事件が青山テルマさんに与えた影響はどのようなものだったのでしょうか。青山テルマさん自身は特にコメントを出しておらず、事件について公の場で語ったことはありません。
ただ、2歳のときに離婚した父親とはほとんど交流がなかったとはいえ、自分がブレイクした年に実の父親が逮捕されたという事実は、精神的に無関係ではいられなかったはずです。
疎遠だった父親の逮捕は本人のせいではありませんが、芸能界という世界では誰の目にも触れる形でニュースになってしまいます。幼少期から多くの苦難を経験してきた青山テルマさんにとって、これもまた乗り越えなければならない出来事のひとつだったのかもしれません。芸能関係者によれば、青山テルマさんは幼いころから「自分の力で道を切り開いてきた人物」であり、家族のトラブルに引きずられることなく活動を続けてきたといいます。
現在の父親との関係はどうなっている
現在の青山テルマさんと父親との関係はどうなっているのでしょうか。
青山テルマさんが2歳の時に両親は離婚しており、それ以降、父親との接触はほとんどなかったといわれています。「顔もほとんど覚えていない」と本人が語るほど、幼少期からの交流は希薄でした。2008年の事件以降も、父親との関係が復活したという情報は一切出てきていません。青山テルマさんは父親のことを話題にすることもほとんどなく、現在もその状況は変わらないようです。
一方で、父親については「自分はお父さんに似てる。音楽の感性も」「お父さんの故郷の料理が好き」といった言及が過去にあることから、完全に存在を否定しているわけでもないようです。事件のことは別として、血のつながりをどこかで認識しているということかもしれません。
青山テルマさんの人生を支えてきたのは、間違いなく母親の青山テルコさんです。ブレイク後に「お母さんに家を買った」という話は有名で、二人の強い絆を象徴するエピソードとなっています。父親との関係は希薄でも、母親との絆は深いという背景はファンの間でも広く知られており、父子関係ではなく母娘関係こそが青山テルマさんの人生の核心にあるといえるでしょう。
青山テルマの壮絶な生い立ちと母親との絆
- 奈良での幼少期と「ゴリラ」と呼ばれたいじめ
- インターナショナルスクール通学と家計の苦労
- 12歳でのアメリカ移住は節約のためだった
- ロサンゼルスでのいじめとタイマン伝説
- 高校の退学勧告から上智大学への逆転合格
- 大学時代のトイレ飯と「そばにいるね」大ヒット
- 母親への恩返しと現在の青山テルマ
奈良での幼少期と「ゴリラ」と呼ばれたいじめ
子どもの頃、いじめられて、タイマンして、ボコボコにされたけど、それでも前を向いてきた。その経験があるから今がある。強く生きることの大切さを教えてくれた日々でした。#青山テルマ
— 青山テルマ (@aoyamateruma) 2022年
青山テルマさんの幼少期は、奈良県大和高田市の実家で過ごしました。築50年以上の一軒家での生活は、決して裕福なものではありませんでしたが、地域に根ざした暮らしの中で育っていきます。
「ゴリラ」と呼ばれた小学生時代
しかし学校生活は、青山テルマさんにとって苦しいものでした。当時の奈良県の田舎には黒人の子供がほとんどおらず、トリニダード・トバゴのルーツを持つ青山テルマさんは肌の色が黒いことから、「ゴリラ」というあだ名をつけられてしまいます。
「テルマって黒人だから将来心配だよね」「テルマちゃんてブサイクだよね」などとクラスメートに面と向かって言われることもあったとのこと。外見だけを理由にしたひどい言葉を浴びせられながら、それでも青山テルマさんは屈しませんでした。
タイマンで黙らせた反骨精神
青山テルマさんが取った行動は逃げることではなく、正面からぶつかることでした。気に入らない相手を呼び出して「お前なんなんだよ!」とタイマンを張るというスタイルで、いじめに対抗していきます。「私は小さい頃にフライパンで焼かれたから黒いねん」と返して、いじめていた子たちを黙らせたというエピソードは、今や語り草になっています。
この強さはどこから来るのでしょうか。母親から受け継いだ精神的なたくましさと、理不尽なものに対してひるまない気質が、幼いながらも青山テルマさんの中に育っていたのです。いじめを笑い話として語れる今の青山テルマさんの姿は、当時の苦しみを真正面から受け止め、乗り越えてきた証です。
インターナショナルスクール通学と家計の苦労
いじめに悩む青山テルマさんを見ていた母親は、娘に国際的な教育環境を与えようと決断します。奈良県在住のまま、大阪にある関西学院大阪インターナショナルスクールに通わせることにしたのです。
往復4時間の通学という選択
一般的にインターナショナルスクールは学費が非常に高額で、年間数百万円に達することも珍しくありません。シングルマザーとして家計を支えていた母親には、非常に大きな負担でした。しかも奈良の実家からその学校まで、毎日往復4時間という長距離の通学を小学生の娘に続けさせていました。
なぜそこまでしたのか。理由のひとつは、日本の一般的な学校ではなく、肌の色が違っても当たり前のように受け入れてもらえる国際的な環境で育てたかったという母親の強い思いです。同じ境遇を持つ子供たちが集まる環境であれば、いじめも少ないだろうという判断もあったでしょう。
貯金が底をついた小学6年生の秋
子供のために大阪まで通わせながら、母親は懸命に働き続けました。お弁当屋さんのアルバイトをしながら家計を支えていましたが、それでも高額な学費を払い続けることは限界があります。
小学6年生が終わる頃には、とうとう貯金が底をついてしまいました。インターナショナルスクールの学費を払い続けることができなくなったのです。母親はここで次の決断を迫られます。それが後にアメリカ移住につながるターニングポイントでした。
往復4時間の通学を続けながら、インターナショナルスクールの環境の中で青山テルマさんは英語力と国際的な感覚を身につけていきました。また10歳の頃にはゴスペルを習い始め、歌う楽しさに目覚めていきます。その才能の芽は、このインターナショナルスクール時代に確かに育まれていたのです。
12歳でのアメリカ移住は節約のためだった
青山テルマさんが「お金持ちの家庭出身」という噂がネット上で広まっている大きな理由のひとつが、12歳でのアメリカ・ロサンゼルスへの移住経験です。しかし実態は全く逆で、この移住は「学費の節約」のために行われたものでした。
アメリカの公立学校は学費が無料です。日本の高額なインターナショナルスクールに通い続けることが困難になった母親は、アメリカの公立学校に転校させることで教育の質を落とさずに学費の負担を大幅に減らせると考えました。
裕福だからではなく、むしろ経済的な窮地を脱するための選択がアメリカ移住だったのです。表面的な情報だけを見れば「12歳でアメリカに留学=お金持ち」という連想につながりますが、その実情は全く異なります。
青山テルマさんと母親が移り住んだのはカリフォルニア州ロサンゼルスで、8畳のワンルームに二人で暮らしていたそうです。決して余裕のある生活ではありませんでした。ロサンゼルスのトーランス中学校に転入した青山テルマさんでしたが、新たな環境でも試練が待ち受けていました。日本人でもアメリカ人でもない自分の居場所をどこに見つければいいのか、アイデンティティの葛藤の中で中学時代を過ごすことになります。
「自分は日本人でもアメリカ人でもないから居場所がない」と感じていたという青山テルマさんの言葉は、当時の心境をそのまま表しています。しかしこの経験もまた、国際的な感覚と多様性への理解を深めるきっかけとなっていきました。
ロサンゼルスでのいじめとタイマン伝説
ロサンゼルスのトーランス中学に転入した青山テルマさんでしたが、ここでもいじめに遭ってしまいます。アジア人であることを理由に無視されたり、メキシコ人の女子生徒からターゲットにされたりする日々が続きました。
「日本にいる時はアジア人だから少数派、アメリカでは黒人に見えてアジア人扱いされず、どこにも居場所がなかった」という言葉が、当時の孤立した状況を物語っています。
しかし青山テルマさんは奈良でのいじめ経験から鍛えられていました。逃げずに立ち向かうというスタイルは変わらず、メキシコ人の女子生徒とタイマンで決着をつけることになります。結果としては「体格差があってボコボコにされたが、足を引っ張ってこけさせた」ということで、完全な勝利ではなかったものの、その後いじめはなくなったといいます。強さを示したことで相手も引いていったのでしょう。奈良でのタイマン伝説に続き、ロサンゼルスでもその強さを証明した瞬間でした。
アメリカでの生活は3年ほど続き、15歳で日本に帰国することになります。アジア人への差別や、アイデンティティの揺れ動きの中で過ごした時間でしたが、この経験が流暢な英語力と国際的な感覚、そして多様性への深い理解を育んでいきました。アメリカ在住中に学校の廊下で1人でおにぎりを食べていたというエピソードも語られており、タイマン伝説と寂しい学校生活、この対比が青山テルマさんの人間的な複雑さを表しているようで興味深いですよね。
高校の退学勧告から上智大学への逆転合格
日本に帰国した15歳の青山テルマさんが進学したのは、東京・調布にあるアメリカンインターナショナルハイスクールです。この学校は毎年ハーバード大学へ進学者を出すほどの進学校で、宇多田ヒカルさんも卒業生に名を連ねる名門校です。
退学勧告を受けた3つの理由
ところが進学校に入学したものの、青山テルマさんは成績が振るいませんでした。学校側から自主退学を勧められるという事態になってしまいます。この頃の青山テルマさんはすでにスカウトされて芸能活動を始めており、チアリーディング部での活動も加わって非常に多忙な毎日を送っていました。勉強・部活・芸能活動という三本立てが、学業の成績に大きな影響を与えていたのです。
猛勉強から上智大学合格への逆転
しかし退学勧告は青山テルマさんを奮い立たせます。その後猛勉強を始め、最終的には上智大学国際教養学部へと合格を果たすという劇的な逆転を遂げました。底辺の成績から日本屈指の名門大学への進学というストーリーは、青山テルマさんの負けん気と努力の強さを証明するものです。
上智大学国際教養学部は、英語で授業が行われる高偏差値の学部です。アメリカ生活で培った英語力と、追い詰められてからの集中力が合わさったことで、この難関突破が実現したといえます。「できないではなくやればできる」を地で行くエピソードで、幼少期からの苦難の連続が、困難な状況に直面した時の粘り強さという形で結実した瞬間でもありました。
大学時代のトイレ飯と「そばにいるね」大ヒット
上智大学への進学後、青山テルマさんの人生に大きな転機が訪れます。大学在学中にメジャーデビューを果たし、「そばにいるね feat. SoulJa」という楽曲が爆発的なヒットを記録したのです。
ギネス記録を達成した大ヒット曲の誕生
2007年に「ONE WAY」でデビューし、翌2008年にリリースされた「そばにいるね」は着うたフルとして驚異的なダウンロード数を記録しました。最終的に日本で最も売れた着うたフル楽曲としてギネス世界記録に認定されるほどの大ヒットとなります。一夜にして時代の寵児となった青山テルマさんでしたが、キャンパスライフには意外な副作用が生まれました。
学食ではなくトイレで食べた日々
大学の学食で食事をしようとすると隠し撮りが横行し、普通に食事ができない状況に追い込まれてしまったのです。「大学の時もみんな学食でごはん食べるやん。けど、隠し撮りがすごかったから。トイレで1人でおにぎり食べてた。トイレが1番落ち着いた。友達も2人しかできへんかった」と青山テルマさんは語っています。
幼少期にはいじめで孤立し、アメリカでも居場所を見つけられずにいたのに、今度は有名人になりすぎたことで孤立するという皮肉な状況でした。それでも大学での学業と芸能活動を両立させ、卒業まで歩み続けた強さは、これまでの経験によって培われたものでしょう。大学時代も経済的に厳しく、築100年のアパートに住みながら自分で学費を稼いで学業と音楽活動を両立していたというエピソードも残っています。
母親への恩返しと現在の青山テルマ
2008年のブレイク後、青山テルマさんが最初に行ったことのひとつが、母親への恩返しでした。「貧乏だったけど親孝行できるって、お母さんに家を買いました。ポーンって」という言葉は、成功と母親への深い感謝の気持ちを象徴しています。
幼少期から極貧の中で育て、インターナショナルスクールの高額な学費を工面し、アメリカへの移住という決断までして娘の未来を守ろうとした母親。その愛情に応えた行動が、成功後すぐの家のプレゼントでした。また青山テルマさんは母親への感謝を込めた楽曲「ママへ」も制作しています。歌詞の中には母親との思い出や感謝の言葉が込められており、ファンの間でも特別な楽曲として知られています。
現在の青山テルマさんは、音楽活動とバラエティタレントとしての活動を両軸に精力的に展開しています。インスタグラムのフォロワーも100万人を超え、その発信力が注目されています。2026年2月にはPrime Original映画「エンジェルフライト THE MOVIE」のエンディングテーマ「Heart」を担当し、アーティストとしての存在感を改めて示しました。
そして2024年8月には一般男性との結婚を発表。「お互いに支え合い、私達らしくオモロい家庭を築いていきたい」というコメントに、青山テルマさんらしい前向きさと温かさがあふれています。父親の逮捕という衝撃的な出来事も、幼少期からのいじめや貧困も、全てを乗り越えて今の青山テルマさんがいます。その底抜けの明るさは作られたものではなく、壮絶な経験を笑いに変えてきた強さそのものです。
青山テルマの父親の事件と生い立ちをまとめ
- 青山テルマは1987年10月27日、奈良県大和高田市生まれのシンガーソングライター
- クォーターで、祖父がトリニダード・トバゴ人、父親がハーフ、母親は日本人
- 両親は青山テルマが2歳の時に離婚し、以降は母子家庭で育った一人っ子
- 父親とは幼少期からほとんど交流がなく、「顔も覚えていない」と語る
- 父親は2008年1月23日、大阪府堺市のレストランに牛刀を持って押し入った
- 解雇への逆恨みが動機で、銃刀法違反・殺人未遂で現行犯逮捕された
- 殺人未遂は不起訴となり、脅迫と銃刀法違反で有罪・執行猶予付き判決を受ける
- 「強盗殺人で服役中」はデマで、実際に服役した事実はない
- 幼少期は肌の色でいじめられ、小学校でのあだ名は「ゴリラ」だった
- 12歳でアメリカに移住したのは裕福なためではなく学費節約のため
- ロサンゼルスでもいじめに遭いタイマンで解決、帰国後は上智大学国際教養学部に合格
- 大学時代は「そばにいるね」がヒットした影響でトイレで一人ご飯を食べる日々を送る
- ブレイク後に母親に家を贈り、楽曲「ママへ」で感謝を表現した
- 2024年8月に一般男性と結婚、2026年には映画エンディングテーマも担当し活動継続中
- 壮絶な生い立ちを明るく語れる強さが、今の青山テルマの最大の魅力
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