大野将平の兄・哲也の柔道人生|将平を五輪連覇へ導いた原点

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大野将平の兄・哲也の柔道人生|将平を五輪連覇へ導いた原点

大野将平さんの兄について気になっている方は多いのではないでしょうか。柔道の男子73キロ級でリオデジャネイロ・東京オリンピック2連覇という前人未踏の偉業を達成した大野将平さんには、2歳上の兄・哲也さんがいます。

大野さんが小学校卒業を機に親元を離れて上京し、名門柔道私塾「講道学舎」に入門したのも、兄・哲也さんが先に同じ道を歩んでいたからでした。「兄と同じ道を歩めば、俺も強くなる」という信念が、大野さんを世界最高峰の柔道家へと導いた原動力のひとつです。

この記事では、大野将平さんの兄・哲也さんの経歴や、兄弟のつながり、そして兄の存在が将平さんの成長にどんな影響を与えたのかを詳しく解説します。

記事のポイント

①:大野将平の兄は哲也さんで2歳年上の柔道家

②:将平は兄を追って講道学舎へ入門し柔道を学んだ

③:兄弟ともに柔道私塾で厳しい寮生活を経験した

④:兄の背中が将平を五輪2連覇の道へ導いた

大野将平の兄・哲也が先に歩んだ講道学舎と柔道の道

  • 兄・大野哲也のプロフィールと柔道人生
  • 将平が兄の背中を追って上京を決意した経緯
  • 講道学舎という場所|地獄の寮生活と成長の舞台
  • 兄の存在が将平の柔道スタイルを形成した理由
  • 大野将平のプロフィールと家族構成
  • 兄の影響と3度の世界選手権制覇の関係

兄・大野哲也のプロフィールと柔道人生

 

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大野将平さんの兄は、大野哲也さんといいます。将平さんより2歳年上で、同じく山口県山口市で生まれ育った柔道家です。

項目 内容
本名 大野哲也
生年月日 1990年頃(推定)
2026年03月31日現在の年齢 約35歳
出身地 山口県山口市
学歴 講道学舎(中高時代)
競技 柔道
大野将平(五輪2連覇)

哲也さんについて公式に公表されている情報は多くありませんが、将平さんが語ったエピソードから人物像の一端が見えてきます。哲也さんは将平さんより先に、柔道の名門私塾「講道学舎」に入塾し、弟・将平さんが歩むべき道を先に切り開きました。

講道学舎は東京都世田谷区に拠点を置いた全寮制の柔道私塾で、古賀稔彦さんや吉田秀彦さんなど数々の世界チャンピオンを輩出した、日本柔道界の登竜門的存在です。哲也さんがその厳しい環境で柔道を磨いていたという事実は、将平さんにとって大きな刺激と目標になっていました。

同じ道を歩むことで自分も強くなれる――そう確信した将平さんは、周囲の反対を押し切って上京を決意します。兄弟がともに同じ柔道の道を歩んでいるというのは一見珍しいことのように思えますが、格闘技では「兄弟ともに競技者」というケースは珍しくありません。ここ、気になるポイントだと思うので詳しく見ていきましょう。

哲也さんが将平さんに与えた最初の影響

将平さんは7歳のときに地元・山口市の松美柔道スポーツ少年団で柔道を始めています。哲也さんも同様に地元で柔道に取り組み、兄弟で同じ競技に打ち込んでいたといいます。

その後、哲也さんが中学進学を機に講道学舎へと進みました。講道学舎は「日本で最も厳しい柔道環境」のひとつとして知られており、全国からトップレベルの柔道少年が集まる場所でした。「兄と同じ道を歩めば、俺も強くなる」という将平さんの言葉は、哲也さんへの信頼を如実に示しています。

後に将平さんは「2歳上の兄である哲也を追って上京すると、講道学舎の所属となった」と語っており、兄の背中を追うことが自分の第一歩になったと振り返っています。柔道界では兄弟や家族での競技継承が多く見られますが、大野兄弟のケースは少し異なります。将平さんは後に「俺が強くなれたのは兄のおかげ」というニュアンスのことを語っており、精神的な支柱としての役割も兄が担っていたことがうかがえます。

哲也さんが講道学舎で培ったものを、2年後に将平さんが受け取り、さらに磨き上げていく――そうした兄弟のリレーが、のちのオリンピック連覇という大きな結果につながっていったともいえるでしょう。

講道学舎は2016年に惜しまれながら閉塾しましたが、かつてそこで磨かれた技術と精神は、大野兄弟を含む多くの卒業生に受け継がれています。哲也さんと将平さんが同じ畳の上で磨き合った時間は、将平さんにとって柔道の原点ともいえる時間だったはずです。

将平が兄の背中を追って上京を決意した経緯

大野将平さんが小学校卒業とともに親元を離れ、東京へ旅立った経緯を整理します。将平さんは山口市立良城小学校を卒業後、兄・哲也さんを追って上京しました。目的地はひとつ、講道学舎です。

この決断は、12歳の少年にとって非常に重い選択でした。山口から東京への引っ越しは、当然ながら地元の友人たちとの別れも意味します。そして何より、親元を離れて全寮制の厳しい環境に飛び込むという決断は、簡単にできるものではありません。

決断の根拠は「兄の存在」だった

将平さんはこの決断の理由についてこう語っています。「兄と同じ道を歩めば、俺も強くなる」という強い確信があったといいます。理屈ではなく、「兄がやっているなら自分もできる」という兄への絶対的な信頼と、兄の姿を追うことで生まれる強烈な動機が、将平さんを突き動かしたのです。

ここ、気になりますよね。12歳の子が「周囲の反対を押し切って」上京を決める、というのは普通なかなかできることではありません。でも、その覚悟があったからこそ、のちの大野将平さんの柔道人生があると言っても過言ではないでしょう。

TBS「人生最高レストラン」への出演時、将平さんは当時を振り返って「中1で人生を間違えた」「12歳にして人生をやめたいと思った」と語っており、入塾当初の苦しさをユーモアを交えて表現しています。それだけ厳しい環境だったにもかかわらず、将平さんが踏み出せたのは、確かに兄・哲也さんという先達がいたからこそといえます。

「俺も強くなれる」という確信の構造

スポーツ心理学の観点から見ると、身近な存在が同じ道を先に歩んでいるというのは、きわめて強力な動機付けになります。「自分には無理かもしれない」という恐怖や不安を打ち消す最大の薬は、「あの人もやっている」「あの人もできた」という事実です。

哲也さんが講道学舎でしっかりと柔道に打ち込んでいたという事実が、将平さんにとって「あの道に進めば大丈夫」という安心感を与え、踏み切るための最後の後押しになったのでしょう。将平さん自身が後に「周囲の反対を押し切った」と語っているように、両親をはじめ周囲には反対する声もあったはずです。

それでも12歳の少年が一歩を踏み出せたのは、間違いなく兄・哲也さんの存在があったからだと考えられます。この兄弟の絆こそが、日本柔道史に残る偉業の最初の一歩でした。

講道学舎という場所|地獄の寮生活と成長の舞台

大野将平さんと兄・哲也さんが柔道を学んだ講道学舎とはどんな場所だったのかを整理します。講道学舎は、東京都世田谷区に拠点を置いた全寮制の柔道私塾です。1967年に創設され、2016年に惜しまれながら閉塾しましたが、約50年にわたって数多くの一流柔道家を輩出し続けました。

輩出した世界チャンピオンの数々

講道学舎の名を日本国内外に知らしめたのは、なんといっても卒業生の輝かしい実績です。古賀稔彦さん(バルセロナ五輪金メダリスト)、吉田秀彦さん(バルセロナ五輪金メダリスト)、穴井隆将さん(世界選手権金メダリスト)など、名だたる柔道家が講道学舎の出身です。

そのため「日本一の柔道私塾」とも称されており、全国から才能ある若手柔道家が集まる場所となっていました。大野将平さんも、この伝統ある場所で兄・哲也さんとともに柔道の基礎を徹底的に磨き上げました。

過酷な日常スケジュール

講道学舎の生活は、現代の感覚から見るとかなり過酷なものです。毎朝5時40分、太鼓の音とともに起床します。そこから早朝トレーニング、掃除や食事の当番をこなした後に学校へ。学校が終わると、毎日3時間の稽古が待っています。

夜には自らの洗濯はもちろん、上級生の付き人として身の回りの世話までこなすというのが、入塾直後の生活の実態でした。将平さんは「中1で人生を間違えた」と語り、「12歳にして人生をやめたいと思った」とも述べています。それほどの環境で、毎日を過ごしていたのです。

厳しさが生み出した「世界一」の礎

では、なぜこれほど厳しい環境に置かれながらも将平さんは柔道を続けることができたのか。その答えのひとつは、「先に同じ道を歩んでいた兄・哲也さんの存在」があったからだと考えられます。兄がすでにその環境で生き抜いているという事実は、弟にとって最大の励ましになったはずです。「兄ができたなら自分もできる」というシンプルな確信が、過酷な日々を乗り越える精神的な支柱になっていたのではないでしょうか。

また、講道学舎の指導者である持田治也さんによれば、入学当初の将平さんは同学年8名のうち7番手に過ぎなかったといいます。しかし中学2年になる頃には「常に真剣勝負を挑んでくる」姿勢で他の選手が組み合うのを避けるほどの存在感を示すようになった、とも語っています。この成長の根底には、兄と同じ場所で、同じ目標に向かって鍛え続けたという確固たる土台があります。

兄の存在が将平の柔道スタイルを形成した理由

大野将平さんの柔道スタイルは「正しく組んで正しく投げる」という日本柔道の正統派スタイルとして高く評価されています。では、なぜ将平さんはそのような柔道スタイルを確立できたのか。兄・哲也さんの存在との関係性から考えてみます。

兄という最初のライバル・ロールモデル

スポーツにおいて、身近に「見本」となる存在がいることは非常に大きな意味を持ちます。コーチや指導者からの指導とは異なり、兄という存在は「自分と近い立場でありながら、自分よりも先に進んでいる存在」です。

将平さんにとって兄・哲也さんは、単なる家族以上の意味を持っていたはずです。同じ血を引き、同じ環境で育ち、そして同じ柔道という競技に取り組む兄の背中は、将平さんが目指すべき最初の「目標」だったといえます。「兄を超える」というシンプルな目標が、将平さんを一切妥協しない姿勢へと鍛え上げていったのかもしれません。

一切妥協しない姿勢の起源

講道学舎の指導者・持田さんは将平さんについて「一切妥協せず常に真剣勝負を挑んでくる」と評しています。この姿勢が中学2年頃には顕著になっており、上級生を含む他の選手が大野さんと組み合うのを避けるほどだったといいます。しかし入学当初は同学年8名中7番手でした。なぜ短期間でそれほどの成長を遂げることができたのか。

ひとつの仮説として、「兄というライバルを常に意識していた」ということが挙げられます。兄と同じ場所に来たからには、同じかそれ以上の存在になりたい――そんな兄弟ならではの競争意識が、将平さんの「一切妥協しない姿勢」を育てていたのかもしれません。

正統派スタイルを支えた根底にある哲学

大野将平さんの柔道スタイルは、体勢を崩したりいなしたりするスタイルではなく、力で真っ向勝負する正統派スタイルです。大野さん自身も「外国選手にパワーでも負けたくなかった」と語っており、ウェイトトレーニングに本格的に取り組んで、パワーでも渡り合える体を作り上げました。

この「真っ向勝負」の哲学は、兄という目の前の壁に対して正面から立ち向かい続けた少年時代の経験と無関係ではないでしょう。兄の背中を追い、それを越えようとし続けた日々が、将平さんの「逃げない柔道」の原点になっているように思えます。

天理大学監督の穴井隆将さんは将平さんの柔道を「技に入るときの威力、度胸がすごい。大外刈りは返される可能性が小さくない技だから、私は何度もタイミングを測ったものですが、大野は『そこで行くの!?』と思うようなタイミングで行ける強さがある」と評しています。この「臆さない強さ」の根底には、幼少期から兄の背中を追い続けた経験が息づいているといえるでしょう。

大野将平のプロフィールと家族構成

 

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大野将平さんのプロフィールを確認しておきましょう。

項目 内容
本名 大野将平
生年月日 1992年2月3日
2026年03月31日現在の年齢 34歳
出身地 山口県山口市
身長・体重 170cm・73kg
血液型 O型
段位 五段
組み手 右組み
得意技 大外刈、内股
所属 旭化成
出身校 世田谷学園高校 → 天理大学 → 天理大学大学院
柔道開始 7歳(松美柔道スポーツ少年団)

大野将平さんは1992年2月3日に山口県山口市で生まれました。小学校時代から柔道に親しみ、山口市立良城小学校を卒業後、兄・哲也さんを追って上京し、講道学舎に入塾しています。

兄弟を含む家族構成

大野将平さんの家族について、公式に確認されているのは兄・哲也さんの存在です。

続柄 氏名 備考
本人 大野将平 柔道家・旭化成所属コーチ
大野哲也さん 2歳年上・講道学舎出身

両親についての詳細情報は現在非公表となっています。山口市で育った大野家において、兄弟ともに柔道に打ち込んでいたというのは、一家にとって柔道が特別な位置づけにあったことを示しているようにも思えます。

将平さんが7歳から柔道を始めたのは、地元・山口市の松美柔道スポーツ少年団がきっかけでした。地域の柔道教室から、講道学舎という全国最高レベルの環境へ――その飛躍の背景に兄・哲也さんの存在があったことは、将平さん自身が語っています。

大野将平さんが語る兄への感謝

大野さんは自身の上京について「2歳上の兄である哲也を追って上京すると、講道学舎の所属となった」と語っています。また「人生最高レストラン」への出演時にも「2歳上の兄の後を追って、『兄と同じ道を歩めば、俺も強くなる』と思い込み、周囲の反対を押し切って本格的に柔道の世界に飛び込んだ」と振り返っています。

言葉の端々に、兄への信頼と感謝がにじんでいるように感じられます。「兄と同じ道を歩んだから今の自分がある」という意識は、将平さんのアイデンティティの一部になっているのかもしれません。ここ、気になりますよね。世界最強の柔道家が「兄の背中を追っただけ」と語るこの謙虚さは、将平さんの人柄をよく表しています。

兄の影響と3度の世界選手権制覇の関係

大野将平さんは、2013年・2015年・2019年の世界柔道選手権大会でいずれも金メダルを獲得しています。この3度の世界制覇の背景に、兄・哲也さんとの関係がどのように影響しているのかを考えてみます。

2013年世界選手権──初優勝の瞬間

天理大学4年生だった2013年、大野将平さんは初めて世界選手権の代表に選ばれました。この大会では6試合すべてを一本勝ちで制覇するという圧巻の内容で初優勝を果たします。

6試合オール一本勝ちという世界大会での完璧な勝利は、当時の柔道界に大きな衝撃を与えました。フランスの柔道雑誌・L’Esprit du Judoでは、100kg超級の絶対王者テディ・リネールが「自分なら大野を最優秀選手に選出する。非常に印象に残り、なおかつ魅力的なものだった」と語ったほどです。

この自信と技術の土台は、講道学舎という環境で培われたものであり、その第一歩を兄・哲也さんが踏んでくれていたことを忘れてはなりません。

2015年・2019年──「最強」の証明

2015年の世界選手権では、日本選手同士による40年ぶりの決勝対決という歴史的な舞台で中矢力さんを破って2度目の優勝。2019年の世界選手権では、東京での開催という特別な舞台で再び6試合オール一本勝ちという圧倒的な強さを示して3度目の頂点に立ちました。

世界選手権3度制覇という実績は、日本柔道史の中でも特筆すべきものです。注目したいのは、将平さんが「才能があったわけでも、特段優れていたわけでもなかった」と自ら語っている点です。天才的な才能ではなく、日々の繰り返しと継続の力で世界トップに上り詰めたということを本人が認めているわけです。

「才能」ではなく「継続」という哲学

大野将平さんは「私がそれを継続することで自分を柔の道の深き所に連れて行ってくれる唯一のものだと思いました」と語っています。この言葉には、「自分は特別な才能があるわけではない」という謙虚さと、「しかし継続すれば必ず強くなれる」という確信が同居しています。

その「継続」の原点を作ったのが、兄・哲也さんの背中を追うという経験だったと言っても過言ではないでしょう。12歳で親元を離れ、地獄のような厳しさの中でも続けてこられたのは、兄がすでにその道を歩んでいたからだと考えると、3度の世界制覇の陰に兄の存在が見えてくるようです。

また、大野さん自身も「柔道の王道を歩みたいという純粋な心で名門で柔道を学んで五輪2連覇できました」と語っており、その「王道」への意識は講道学舎という正統派の柔道教育を受けたことと深く結びついています。

大野将平が兄の背中を追って成し遂げた五輪2連覇

  • 大野将平の主要実績|73kg級の絶対王者
  • オリンピック2連覇を達成できた本当の理由
  • 大野将平の現在|コーチ転向と英国留学

大野将平の主要実績|73kg級の絶対王者

 

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大野将平さんの競技実績を整理します。

大会・年 結果
2011年世界ジュニア選手権 優勝(73kg級)
2012年グランドスラム東京 優勝(73kg級)
2013年世界柔道選手権 優勝(73kg級)
2015年世界柔道選手権 優勝(73kg級)
2016年リオデジャネイロ五輪 金メダル(73kg級)
2018年グランドスラム・デュッセルドルフ 優勝(73kg級)
2018年アジア大会 優勝(73kg級)
2019年世界柔道選手権 優勝(73kg級)
2021年東京オリンピック 金メダル(73kg級)
2021年東京オリンピック混合団体 銀メダル

大野将平さんは、2016年リオデジャネイロオリンピックと2021年東京オリンピックで連続金メダルを獲得しました。日本の柔道選手としては7人目となるオリンピック連覇の偉業を達成しており、「絶対王者」と呼ぶにふさわしい実績の持ち主です。

世界の強豪との対戦成績

大野さんはライバルたちとの対戦でも圧倒的な強さを発揮しています。韓国の安昌林さんとは6勝0敗、ジョージアのラシャ・シャフダトゥアシビリさんとは3勝0敗、アゼルバイジャンのルスタム・オルジョフさんとは6勝0敗という成績を残しています。これらの対戦成績は、大野さんが世界の強豪を相手に圧倒的な勝率を誇っていたことを如実に示しています。

国内ライバルの海老沼匡さんとは3勝1敗と熾烈な争いを繰り広げており、互いに高め合いながら日本柔道の水準を押し上げていました。海老沼さんのことを「唯一、命のやりとりのできる相手」と語っていたほどの関係です。

柔道スタイルが世界から評価された理由

筑波大学准教授の山口香さんは大野さんの柔道を「大げさでなく、これは日本柔道の教科書だ」と評しています。また、野村忠宏さんは「大野と組んだことのある選手は誰もがその技に恐怖を感じているはずだ」と語っており、世界中の強豪から一目置かれる存在でした。

大野さんが特に評価されたのは、外国選手が得意とする接近戦・パワー勝負においても一切退かない姿勢と、右組みから繰り出す内股・大外刈の切れ味です。特に大外刈りは「返される可能性が小さくない技」でありながら「そこで行くの!?」と思うようなタイミングで仕掛けられる独特のスタイルが持ち味でした。

こうした正統派スタイルの根底には、講道学舎での徹底した基礎訓練と、兄・哲也さんの背中を追うことで身についた「逃げない姿勢」があると考えられます。

オリンピック2連覇を達成できた本当の理由

大野将平さんがリオデジャネイロと東京の2大会連続で金メダルを獲得できた理由を整理します。

2016年リオデジャネイロ五輪──「最低でも金」の重圧

リオデジャネイロ五輪の前、大野さんは「最低でも金」という言葉を使ったことで注目を集めました。2000年シドニーオリンピック金メダリストの田村亮子さんの「最高で金、最低で金」という言葉を思い起こさせるこの発言は、大野さんの強烈なプレッシャーと覚悟を示しています。

リオ五輪本番では、内容面では必ずしも完璧ではなかったと大野さん自身が振り返っていますが、確実に金メダルを手にしました。試合後のインタビューでは「当たり前のことを当たり前にやる難しさを味わいました」と語っており、外からは「当然の優勝」と見られる重圧の中で戦うことの困難さを率直に打ち明けています。

2021年東京五輪──「自分は何者なのか」の問いと答え

東京五輪は、大野さんにとって特別な意味を持つ大会でした。リオ五輪後、大野さんは「リオ以降は柔道が嫌いになって、何のために稽古をやっているのだろうと自問自答する日々でした」と語っています。それでも東京五輪の舞台に立ち、「自分は何者なのかということを確かめるため、証明するために戦うことができました」と語りました。

「子供のころ、好きで始めた柔道」という原点への立ち返りが、将平さんの精神的な復活を可能にしました。この原点とは、7歳で柔道を始めたこと、兄の背中を追って上京したこと、講道学舎で地獄のような日々を乗り越えたこと――そのすべてが「原点」として大野さんの中に生き続けていたのです。

2連覇を可能にした精神的な強さの根源

大野さんの2連覇を可能にしたのは、技術だけではありません。「自分を柔の道の深き所に連れて行ってくれる唯一のもの」と表現した「継続する力」と「逃げない姿勢」という精神的な基盤が不可欠でした。その精神的な基盤を形成した要因のひとつが、兄・哲也さんを追って講道学舎に飛び込んだ12歳の決断です。

「兄と同じ道を歩めば強くなれる」という確信が生み出した覚悟と継続力が、リオから東京へ、苦悩の5年間を乗り越えての2連覇につながったといえるでしょう。大野さんは「才能があったわけでも、特段優れていたわけでもなかった」と自らを評しながら「柔道の王道を歩みたいという純粋な心で名門で柔道を学んで五輪2連覇できました」と語っています。この言葉には、兄の背中を追って踏み出した最初の一歩への感謝が込められているようにも感じられます。

大野将平の現在|コーチ転向と英国留学

大野将平さんは2023年3月、都内で会見を開き、今後の活動について発表しました。

「引退ではない」という明確な意思表示

会見で大野さんは、パリ五輪(2024年)の代表選考には参加しないことを明言しました。しかし同時に「引退」「第一線を退く」という表現を強く否定しています。「柔道家に引退はない。一生修行だと思います。小さな枠組みで捉えていただきたくない」という言葉は、大野さんの柔道に対する真摯な姿勢を表しています。

大野さんは所属の旭化成でプレーイングコーチとして活動することを表明しました。選手としての活動を続けながら、指導者としての役割も担うという形です。旭化成の公式サイトには現在もコーチとして大野さんの名前が掲載されており、コーチ歴は2025年からとなっています。

JOC海外研修制度を活用した英国留学

さらに大野さんは、JOC(日本オリンピック委員会)の海外研修制度を利用して2年間イギリスに渡ることを発表しました。この研修制度は将来の指導者育成を目的としたもので、海老沼匡さんも先に活用していたといいます。

「中学入学で親元を離れて苦労したので、セカンドキャリアで『もう一度、自分自身に苦労を』と思って決断しました」という言葉には、中学時代に兄の背中を追って上京した経験を重ねているような意味合いも感じられます。かつて12歳で親元を離れたように、今度は自らの意志でイギリスへ――その覚悟の源泉に、兄弟で乗り越えた講道学舎の日々が息づいているようにも思えます。

柔道を通じた国際的な人材へ

大野さんは英国留学の目的について「いずれは柔道を通して、国際的な人材になりたい」と語っています。ヨーロッパでの柔道熱の高さや、国際大会の運営・盛り上がりを肌で感じたいという思いもあるといいます。

また、将来的には「私の柔道を伝承した後輩を出して、柔道界を盛り上げられたら」という抱負も語っており、自分が培った「正しく組んで正しく投げる」柔道のスタイルを次世代に継承することへの強い意欲が感じられます。

試合への復帰可能性については「ヨーロッパで柔道の楽しさや違った関わり方が見えてきたら、もう一度試合に出るかもしれない」と語っており、完全引退ではなく可能性を残しながら新たなステージへと進んでいます。

かつて兄・哲也さんが先に道を開いてくれたように、今度は将平さん自身が後進のために道を切り開く番なのかもしれません。

大野将平と兄の絆が生んだ最強柔道家の総括まとめ

  • 大野将平の兄は大野哲也さんで、2歳年上の柔道家
  • 哲也さんは将平より先に名門柔道私塾「講道学舎」に入塾した
  • 将平は「兄と同じ道を歩めば強くなれる」と確信し上京を決断
  • 小学校卒業の12歳で親元を離れ、東京へ旅立った
  • 講道学舎の生活は毎朝5時40分起床から始まる過酷なもの
  • 将平自身が「中1で人生を間違えた」と語るほどの厳しい環境だった
  • 兄の存在が「一切妥協しない姿勢」という将平の柔道哲学の礎になった
  • 世界柔道選手権を2013・2015・2019年の3度制覇した
  • 2016年リオデジャネイロ五輪で金メダル獲得
  • 2021年東京オリンピックでも金メダルを獲得し五輪2連覇達成
  • 日本の柔道選手として7人目のオリンピック連覇という偉業を達成
  • 2023年3月にプレーイングコーチへ転向し英国留学も発表
  • 「柔道家に引退はない。一生修行だ」という姿勢を一貫して示している
  • 兄・哲也さんへの感謝は将平さんのエピソードの端々に感じられる
  • 「正しく組んで正しく投げる」正統派柔道スタイルは兄の影響と講道学舎での鍛錬が起源

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