萩尾みどりの夫・深水三章との馴れ初め|離婚した理由と子供

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萩尾みどりの夫・深水三章との馴れ初め|離婚した理由と子供

萩尾みどりさんといえば、NHK「おていちゃん」や「3年B組金八先生」などに出演し、長年にわたって活躍を続けてきた実力派女優です。

そのプライベートに注目すると、夫は俳優の深水三章さんで、1980年3月10日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で結婚式を挙げています。

二人の出会いは1978年7月のNHKドラマの撮影現場。結婚式の時点で萩尾さんは妊娠7ヶ月という状態だったことが記者会見で明かされ、当時の報道陣を大いに驚かせました。

その後、1994年に離婚。娘と息子の2人の子供を女手ひとつで育て、現在は孫もいます。この記事では、萩尾みどりさんの夫・深水三章さんとの馴れ初めから結婚の経緯、離婚の理由と子供たちのその後まで詳しくお伝えします。

記事のポイント

①:夫は俳優・深水三章さんで1980年に結婚

②:妊娠7ヶ月での結婚式が記者会見で発覚

③:1994年に離婚、子供2人の親権は萩尾さんが取得

④:深水元基が息子という噂は本人が否定

萩尾みどりの夫・深水三章との出会いと結婚の経緯

  • 【夫・深水三章のプロフィール】俳優としての経歴と人物像
  • 萩尾みどりと夫の馴れ初め|1978年の運命的な出会い
  • 【1980年3月】結婚式の詳細と妊娠7ヶ月の電撃発表
  • 萩尾みどりのプロフィールと芸能界入りのきっかけ
  • 夫婦の生活スタイルと家庭での萩尾みどり
  • 萩尾みどりの大学時代のモテ伝説

【夫・深水三章のプロフィール】俳優としての経歴と人物像

まず、萩尾みどりさんの夫・深水三章さんの基本プロフィールを以下の表で確認してみましょう。

項目 内容
本名 深水三章(しんすい さんしょう)
生年 1950年頃
職業 俳優
所属 ミスタースリムカンパニー(劇団リーダー)
萩尾みどりとの結婚 1980年3月10日
離婚 1994年
死去 2017年12月30日(虚血性心不全)

劇団ミスタースリムカンパニーのリーダーとして

深水三章さんは、俳優としての活動と並行して、ロックミュージカル劇団「ミスタースリムカンパニー」のリーダーとして精力的な活動を続けていた人物です。

この劇団は1970年代から80年代にかけて、独自のロックミュージカルスタイルで若い観客から熱い支持を集めていた個性派集団でした。深水さん自身もその中心的存在として、舞台上でのダイナミックな演技と独特のカリスマ性で多くのファンを惹きつけていました。

萩尾みどりさんも交際前から、このミスタースリムカンパニーの活動に強い興味を抱いていたといいます。当時の芸能界においても、ロックミュージカルというジャンルは新鮮で注目を浴びており、深水さんのスタイルは時代の先端を走るものでした。

テレビドラマへの出演も積極的で、1978年にはNHKのドラマ「早筆右三郎」にゲスト出演。これがのちに萩尾みどりさんとの出会いの場となったのは、まさに縁の不思議さを感じさせるエピソードです。劇団の若者たちがデニムやジャンパーというカジュアルなスタイルで結婚式に参列したという逸話も、当時の深水さんの人間的な温かさと自由さを物語っています。

主な出演作品とテレビでの活躍

深水三章さんの主な出演作品としては、TBSドラマ「阿修羅のごとく」や「炎立つ」が知られています。

いずれも時代を代表する人気作品であり、深水さんはその中でしっかりと存在感を示す演技を見せていました。テレビドラマへの出演に加え、劇団での舞台活動も並行して行っており、俳優としての表現の幅を絶えず広げていた点が印象的です。

萩尾みどりさんが結婚会見で「もう少し稼げるようになってほしい」とコメントしながらも、「ミスタースリムカンパニーはこれから大きくなる」と期待を寄せていたことからも、深水さんの才能への信頼感が伝わってきます。俳優としての実力と劇団リーダーとしてのカリスマ性を兼ね備えた人物として、当時の芸能界で一定の評価を受けていた人物でした。

2017年12月30日の死去と深水三章の晩年

深水三章さんは2017年12月30日、虚血性心不全のため亡くなりました。

虚血性心不全とは、心臓への血液供給が不足することで心機能が低下する深刻な病態です。萩尾みどりさんとは1994年に離婚していたため、別れてから実に23年後のことになります。享年については、1980年の結婚時に30歳前後だったとされることから、60代後半での死去と推測されます。

年の瀬、12月30日という日付に逝去されたことは、関係者にとっても深く心に刻まれる出来事となりました。子供たちの父親として、また一人の俳優・劇団主宰者として、それぞれの記憶の中に深水三章さんの姿が残っていることでしょう。

萩尾みどりと夫の馴れ初め|1978年の運命的な出会い

萩尾みどりさんと深水三章さんの出会いには、偶然と必然が重なった印象的な背景があります。ここでは、二人の馴れ初めの経緯を詳しく追っていきます。

「おていちゃん」撮影中の偶然の出会い

萩尾みどりさんと深水三章さんが出会ったのは、1978年7月のことでした。

この時期、萩尾さんはNHKの人気ドラマ「おていちゃん」に出演中でした。そのNHKのスタジオのすぐ隣で、別のドラマ「早筆右三郎」の撮影が行われており、そこに深水三章さんがゲスト出演していたのです。

かねてからミスタースリムカンパニーの活動に強い興味を持っていた萩尾さんは、「あの劇団のリーダーはどんな人なんだろう」という好奇心を抑えられず、隣のスタジオをのぞきに行きました。こうした自分から積極的に動く姿勢は、いかにも萩尾さんらしいエピソードです。ここ、気になりますよね。女優として多忙な撮影中に、隣のスタジオに顔を出す行動力と好奇心は、萩尾さんの人間的な魅力そのものです。

深水三章が萩尾みどりに惚れた瞬間

萩尾みどりさんが隣のスタジオをのぞきに来た瞬間、深水三章さんはひと目で彼女の魅力に気づきました。

「おっ、美人だなあ。こいつはぜひ友だちにならなくっちゃ」と思ったという深水さん。さらに萩尾さんについて「どんなくだらないこと言ってもケラケラ笑ってくれる。彼女はシャレがわかってくれるイカした女だなあ」とコメントしており、萩尾さんの気さくで明るい性格が深水さんの心を強く引きつけたことがわかります。

容姿の美しさだけでなく、一緒にいて楽しいと感じさせる雰囲気や、ユーモアへの対応力が深水さんを惹きつけたわけです。その場ですぐにデートの約束を取り付けた深水さんのスピーディーな行動もまた、劇団リーダーらしい積極性を感じさせます。

新宿ゴールデン街での初デートと同棲スタート

二人は最初のデートとして、新宿ゴールデン街へ飲みに行きました。

当時の新宿ゴールデン街は、文化人・芸能人・演劇関係者が集まる独特の雰囲気を持つエリアでした。劇団活動を軸に生きていた深水さんにとっては馴染みの場所だったことでしょう。この初デートをきっかけに、二人の交際は一気に加速していきます。

交際後は、萩尾みどりさんが住む世田谷区のマンションに深水さんが頻繁に通うようになり、自然な流れで同棲生活がスタートしました。最初から二人は「将来、オレたち結婚した方がいいね」と話し合っていたとのことで、正式なプロポーズという形をとるよりも、付き合い始めた時点からすでに将来を見据えた関係だったのです。

それまで萩尾さんは「理想の男性はおちついた中年男性」と思っていたとのこと。若くて個性的な深水さんとの出会いが、萩尾さん自身の恋愛観をも変えてしまったのかもしれません。「毎日この人と一緒にいたい」と思うようになった1年前から結婚を決意していた、と萩尾さんは後に語っています。出会いから約1年半後の1980年3月に、晴れて結婚の運びとなりました。

【1980年3月】結婚式の詳細と妊娠7ヶ月の電撃発表

1980年3月10日に挙行された萩尾みどりさんと深水三章さんの結婚式は、当時の芸能界でも大きな話題を呼びました。その詳細を見ていきましょう。

東京カテドラル聖マリア大聖堂での盛大な式

結婚式は1980年3月10日午後2時、東京都文京区の東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)で執り行われました。

萩尾みどりさんは敬虔なカトリック信者であり、「マリア=アグネス」という洗礼名を持っています。この大教会での挙式は萩尾さんが希望したもので、その信仰の深さが伝わってきます。深水三章さんは黒のタキシード、萩尾さんは純白のウェディングドレスに身を包み、しずしずとバージンロードを歩みました。

参列者は親族・友人合わせて約70名。吉川敦神父の導きのもと、しっかりと手を握り合った二人は誓いの言葉を述べ、神の御許で正式に夫婦となりました。式には深水さんの所属するミスタースリムカンパニーのメンバーもデニムやジャンパーといったカジュアルなスタイルで参列しており、現代的な若い芸能カップルらしいリラックスした雰囲気の中で式が進行したと伝えられています。

記者会見での妊娠7ヶ月爆弾発言

挙式後に行われた記者会見で、突然の「爆弾発言」が飛び出しました。

冒頭で萩尾みどりさんの所属事務所・岩淵グループの社長が「えー、初めにお知らせしておきますが、みどり君は実はもうおめでたなんです。今7ヶ月で、予定日は6月10日頃になります」と発表したのです。報道陣からは「ええッ!?」「うわ~」という驚きの声が上がりました。

二人が同棲していることは周知の事実でしたが、それまで妊娠の噂はまったく出ていませんでした。それだけに、この発表は大きな衝撃をもって受け止められたのです。

「赤ちゃんが原因ではない」と明言した二人

記者から「赤ちゃんができたから結婚したのか?」と問われた萩尾みどりさんは、はっきりと否定しました。

「いいえ、私は最初から結婚を拒否してたわけじゃないんです。毎日この人と一緒にいたいと思うようになったら結婚しようと思ってました。1年前からそう思うようになったので今回けじめをつけたんです。赤ちゃんはその延長線上のことで、原因ではありません」と語った萩尾さん。

深水三章さんも「うん、赤ちゃんはね、突発的な出来事なんだよ。プロポーズは特にしなかった。付き合い始めた頃から、『オレたち将来結婚した方がいいね』なんていってたからね」と語っており、二人の結婚はあくまで自然な流れによるものだったとわかります。

男の子と信じて「大地」という名前も準備済みだった

結婚当時、二人はお腹の子供が男の子だと確信していました。

名前もすでに「大地」と決めていたほどだったといいます。ところが実際に生まれたのは女の子でした。二人のウキウキとした期待が、少しほほえましいエピソードとして今に伝わっています。

その後、萩尾さんは男の子も授かり、娘と息子の2人の子供に恵まれることになります。最初から「大地」という名前を用意していたほど子供の誕生を楽しみにしていたことが伝わってきますよね。妊娠7ヶ月の状態で大教会のバージンロードを歩んだ萩尾みどりさんの姿は、当時の報道陣の記憶に強く刻まれたことでしょう。

萩尾みどりのプロフィールと芸能界入りのきっかけ

下記の表は萩尾みどりさんの基本プロフィールをまとめたものです。

項目 内容
本名 萩尾みどり(はぎお みどり)
生年月日 1954年1月14日
2026年03月28日現在の年齢 72歳
出身地 福岡県八幡市(現・北九州市八幡西区)
出身校 新潟県立高田高等学校→千葉大学理学部生物学科(中退)
職業 女優・声優・タレント
所属 オフィスPSC

福岡から新潟へ、生い立ちと学歴

萩尾みどりさんは1954年1月14日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡西区)で3人姉妹の次女として生まれました。

母親が萩尾さんの子供の頃に亡くなっており、その後は新潟県直江津市(現・上越市)に移住。新潟県立高田高等学校へと進学しました。高田高等学校は地域の進学校で、萩尾さんもしっかりとした学力を持ち合わせていました。

高校時代は、その美貌から男子生徒たちの熱い注目を集め、担任教師から「君のせいで男子学生が浮き足だっている。自重するように」と注意を受けるほどだったといいます。ラブレターを頻繁にもらっていたとのことで、高校時代から「黄金のモテ期」が始まっていました。

千葉大学での7年間と美人コンテスト準優勝

高校卒業後は千葉大学理学部生物学科に進学しました。将来は生物学者を目指しており、カエルの解剖が好きだったというユニークなエピソードも残っています。

千葉大学には実に7年間在籍しましたが、在学中に女子大生美人コンテストで準優勝を果たします。これがきっかけとなり芸能界へのスカウトを受け、生物学の道から女優の道へと転身することになりました。

なお、千葉大学には「萩尾みどりのモテ伝説」が語り継がれており、2017年の「徹子の部屋」出演時に本人がその内容を披露しています。理系女子として真剣に学業に取り組みながら、その存在感で周囲を魅了し続けていた萩尾さんの大学生活は、なかなかにドラマチックなものだったのではないでしょうか。

女優デビューと主な出演作品

芸能界デビューは1974年、TBSドラマ「わたしは燁(よう)」への主演でした。20歳でのデビューです。

その後はNHK「おていちゃん」(1978年)でさらに知名度を上げ、「3年B組金八先生」などの人気ドラマにも出演。映画では「病院坂の首縊りの家」(1979年)「ゴジラ×メカゴジラ」(2002年)など幅広いジャンルで活躍しました。

また、声優としても実力を発揮しており、メリル・ストリープ、スーザン・サランドンなど海外の著名女優の吹き替えを担当。環境問題・エネルギー問題に関する講演活動も長年続けており、女優・声優・講演家と複数の顔を持つマルチな才能の持ち主です。好奇心旺盛でガラス細工、キルト刺繍、水彩画、スキューバダイビングなど多彩な趣味も持ち、その行動力は現在も変わりません。

夫婦の生活スタイルと家庭での萩尾みどり

ここでは、夫・深水三章さんとの同棲・結婚生活の中での萩尾みどりさんの姿についてお伝えします。

最初はドライだった萩尾みどりの同棲スタンス

交際初期、萩尾みどりさんは同棲に対してかなりドライなスタンスを持っていました。

「彼の下着なんて洗わない。料理も作らない」というのが萩尾さんの当初の姿勢でした。これは単純にだらしないということではなく、「家事を通じて関係に依存しない」という、自立心の強い萩尾さんらしい考え方でもあったのかもしれません。二人の関係においても、お互いの自立を重んじるスタンスが最初から見て取れます。

しかし実際の生活では、そのドライな姿勢は長続きしませんでした。結婚会見で萩尾さん自身が「今は家事はいっさい自分でしています。そういう点では亭主関白ですね」と語っているように、徐々に家事全般を担うようになっていったのです。お料理については「最近は自信がでてきました」とも話しており、慣れない家事に少しずつ慣れていった様子が伝わってきます。

変化した夫婦の生活スタイルと「亭主関白」という言葉

萩尾みどりさんが「亭主関白」と表現した通り、深水三章さんは家事にあまり参加しないタイプでした。

萩尾さんは当初こそ「下着は洗わない」と宣言していたものの、実際にはいつの間にか全家事を引き受ける形になっていました。深水さんが「まあ、(主婦としては)いいんじゃないですか。料理はカレーライスが得意ですよ」とコメントしているのが印象的です。得意料理がカレーライスというのも、何ともほほえましいですよね(笑)。

この「家事分担のアンバランスさ」は、のちの離婚理由の一つにもつながっていきます。二人の間の性格の不一致は、この頃から少しずつ芽生えていたのかもしれません。しかしそれでも、二人は約14年間の結婚生活を続けたわけですから、その間に積み上げてきた絆と時間は確かなものだったとも言えます。

深水三章への期待と率直な本音

結婚会見の場では、萩尾みどりさんが深水三章さんへの率直な本音をそっと披露するシーンもありました。

「もう少し彼の方がお金が稼げるようになってほしいですね」と発言しながらも、「今やってるミュージカル劇団の中ではミスタースリムが理屈なしに一番面白いから、これから彼も大きくなると思います」と続けた萩尾さん。率直でありながら、しっかりと夫の才能への信頼も示している、バランスの取れたコメントです。

当時の萩尾さんは女優として着実にキャリアを積んでいた一方で、深水さんは劇団活動を中心としたスタイルを続けていました。こうした収入面の差も含め、夫婦としての生活は最初から一筋縄ではいかない部分もあったようです。しかしその中でも二人は、独自のスタイルで家庭を作り上げていったのです。

萩尾みどりの大学時代のモテ伝説

萩尾みどりさんの若い頃を語る上で欠かせないのが、千葉大学に今も語り継がれるという「萩尾みどりのモテ伝説」です。高校・大学時代が「黄金のモテ期」だったと本人が振り返るほど、その時代の萩尾さんの存在感は際立っていました。

高校時代から始まった「黄金のモテ期」

萩尾みどりさんは、高校・大学時代を「黄金のモテ期」と振り返っています。

新潟県立高田高等学校に在籍していた高校時代、萩尾さんはラブレターを頻繁にもらっていたといいます。その影響がクラス全体に及ぶほどだったようで、高校2年生の時には担任教師に職員室へ呼び出されました。「君のせいで男子学生が浮き足だっている。自重するように」という注意を受けたというのですから、その存在感のほどが伝わってきます。

一般的に、先生から「モテすぎるから自重して」と言われる学生がどれほどいるでしょうか。これは高校時代から、萩尾さんの美貌と魅力がいかに際立っていたかを物語るエピソードです。進学校で学力もしっかりと持ち合わせながら、その美しさでキャンパスを沸かせていた当時の萩尾さんの姿が目に浮かびます。

千葉大学で語り継がれるモテ伝説

千葉大学に進学してからも、萩尾みどりさんのモテっぷりは変わらず続きました。

「千葉大学に伝わる萩尾みどりのモテ伝説」は、2017年7月放送の「徹子の部屋」でも本人の口から明かされています。7年間という長い在籍期間中、萩尾さんの存在は大学内でも際立つものがあったようです。

将来は生物学者を目指しており、カエルの解剖が好きだったという萩尾さん。高校は進学校を卒業し、大学でも理系の専門知識を学ぶという知性と美貌を兼ね備えた人物として、キャンパスでも一目置かれていたことが伺えます。理系女子として真剣に学業に取り組みながら、その存在感で周囲を魅了し続けていたという萩尾さんの大学生活は、なかなかにドラマチックなものだったのではないでしょうか。

美人コンテスト準優勝から女優への劇的転身

大学在学中、萩尾みどりさんは女子大生美人コンテストに参加し、準優勝を果たします。

このコンテストへの参加・入賞が芸能界入りのきっかけとなり、生物学者を目指していた萩尾さんの人生は大きく方向転換することになりました。大学を中退し、1974年にTBSドラマ「わたしは燁(よう)」への主演でデビュー。20歳でのデビューです。

「好奇心旺盛でいろいろなことに挑戦するが長続きしないことが多い」と自身で語るように、萩尾さんは生物学の勉強から女優業へと鮮やかに転身を遂げました。ガラス細工、キルト刺繍、水彩画、スキューバダイビングなど、芸能界に入ってからも次々と新しいことに挑戦する姿勢は一貫しています。このバイタリティーこそが、長年にわたって女優として活躍し続けられる原動力なのかもしれません。

萩尾みどりの夫との離婚後の子供たちと現在の活動

  • 萩尾みどりと夫・深水三章の離婚理由と経緯
  • 深水元基が息子という噂の真相
  • 娘の結婚エピソード|同じドレス・同じ教会で
  • 息子・娘の現在と女手ひとつの子育て
  • 萩尾みどりの現在の活動と孫との生活

萩尾みどりと夫・深水三章の離婚理由と経緯

萩尾みどりさんと深水三章さんは、1994年に離婚しました。結婚から約14年、子供たちがある程度成長したタイミングでの別れでした。その経緯を詳しく見ていきましょう。

「1つの家に男は2人要らない」という根本的な性格の不一致

離婚の根本的な理由として、萩尾みどりさんは「1つの家に男は2人要らない」という言葉を使っています。

萩尾さんは自身の内面的な性格が「男性的」であると自覚していました。そして深水三章さんもまた、強い個性と自己主張を持ったタイプの人間でした。互いに自立心が強く、自分のやり方を曲げない性格の二人が同じ屋根の下で長年生活するには、やはり無理が生じてきたのです。

これは「性格の不一致」という言葉では片付けられない、もっと根深い問題でした。どちらが悪いということではなく、互いに自分の軸を持った二人が衝突を繰り返した結果として、離婚という選択に至ったのだと言えます。萩尾さん自身が語っているように、2002年の「徹子の部屋」出演時にもこのエピソードを率直に明かしており、離婚についての後悔よりも、自分らしく生きることへの誇りが感じられます。

スーパーの前での大喧嘩が引き金に

離婚を決定的にしたきっかけとして、萩尾みどりさんはあるエピソードを語っています。

スーパーに行く前に、別の店に寄るか寄らないかという些細なことで大喧嘩になってしまったというのです。端から見れば「そんなことで?」と思うかもしれませんが、これは一つの出来事というより、それまでに蓄積してきたストレスや不満が爆発したものと考えるのが自然です。

長年の小さな摩擦が積み重なり、ある日ついに限界を超えてしまった。多くの夫婦の離婚がそうであるように、決定打となった出来事は意外と些細なものだったりするのです。ここ、気になりますよね。萩尾さんが「それが引き金だった」と語るエピソードは、夫婦関係の複雑さを物語っています。

家事を手伝わない夫へのストレス

もう一つの重要な要因として、深水三章さんが家事をほとんど手伝わなかったことへのストレスがありました。

結婚当初から「亭主関白」と表現されていた通り、家事は基本的に萩尾みどりさんが一人でこなしていました。女優としての仕事をこなしながら、家事・育児を一手に引き受けていた萩尾さんの負担は相当なものがあったはずです。

もともと「下着は洗わない、料理も作らない」という自立したスタンスで同棲を始めた萩尾さんが、いつの間にか全家事を担うようになっていた構図。それが14年間続いたわけですから、蓄積されたストレスは想像を超えるものがあったかもしれません。

親権と離婚後の女手ひとつの生活

1994年の離婚後、子供たちの親権は萩尾みどりさんが取得しました。

当時、娘さんは約13歳前後、息子さんは約9歳前後の年齢だったと推測されます。萩尾さんは女優・声優・タレントとして働きながら、二人の子供を女手ひとつで育てていくことになりました。「お金を稼いで家族を養うことに喜びを感じる」という萩尾さんの言葉通り、仕事と育児を両立させ、子供たちをしっかりと育て上げたのです。離婚という決断を後悔するどころか、自分らしい生き方を貫いた萩尾さんの強さが伝わってきます。

深水元基が息子という噂の真相

萩尾みどりさんに関するネット情報を調べると、「俳優・深水元基さんが萩尾みどりの息子」という噂に出会うことがあります。結論から言うと、これは事実ではありません。噂の経緯と否定の根拠について整理してみましょう。

噂が広まった背景と苗字の一致

この噂が広まった背景には、苗字の類似があります。

萩尾みどりさんの元夫・深水三章さんの苗字が「深水(しんすい)」で、俳優の深水元基さんの苗字も「深水(ふかみ)」であるためです。漢字が同じであることから、「深水三章と萩尾みどりの子供が深水元基なのでは?」という憶測がネット上で広まったと考えられます。

深水元基さんは俳優・モデル・デザイナーとして幅広く活躍している人物で、1980年1月20日生まれ(東京都出身、身長187cm、血液型AB型)です。確かに萩尾みどりさんと深水三章さんの結婚が1980年3月という時期と近いため、同世代として連想される面もあったかもしれません。しかしこれだけで親子関係を断定するのは無理があります。

年齢の不一致という明確な事実

この噂を否定する根拠の一つが、年齢の不一致です。

萩尾みどりさんが2002年の「徹子の部屋」に出演した時、息子さんは「17歳の浪人生」だったと語っています。つまり息子さんは2002年時点で17歳、逆算すると1984年か1985年生まれということになります。

一方、深水元基さんのプロフィールには生年月日として「1980年1月20日」と記載されています。1980年と1984〜85年では4〜5年の差があり、年齢がまったく一致しません。単純に計算しても、深水元基さんが萩尾みどりさんの息子であることはあり得ないことがわかります。

本人がツイッターで明確に否定

さらに決定的な証拠として、深水元基さん自身がツイッターで否定のツイートを投稿していました。

「わたくし…深水三章さんと萩尾みどりさんの息子って良く聞かれるけど違うんだよな…(^^;; 俺の両親は普通のオッサンとオバハンです…。」

このツイートは非常に明確で、本人の言葉で直接否定されているわけです。深水元基さんの両親は芸能人ではなく、一般の方だということです。ネット上では苗字の一致だけで「親子説」が囁かれるケースがよくありますが、こうした情報は正確に見極めることが大切ですよね。深水元基さんが萩尾みどりの息子という噂は事実ではなく、ネット上の誤情報です。

娘の結婚エピソード|同じドレス・同じ教会で

萩尾みどりさんの娘さんに関して、とても印象的なエピソードがあります。離婚後に女手ひとつで育て上げた娘さんの結婚は、萩尾さんにとっても特別な意味を持つ出来事となりました。

同じドレス・同じ教会という感動的な選択

娘さんは、萩尾みどりさんが1980年の結婚式で着たウェディングドレスを着用し、さらに同じ東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)で挙式を行ったのです。

母親が結婚した教会で、母親が着たドレスを着て結婚式を挙げるというのは、母への深い敬意と愛情の表れではないでしょうか。離婚という経験を乗り越え、女手ひとつで娘を育て上げた萩尾みどりさんにとって、この出来事がどれほど感慨深いものだったか、想像するだけで胸が熱くなります。

また、このエピソードはカトリックの信仰という観点からも意味深いものがあります。萩尾さんが「マリア=アグネス」という洗礼名を持つ敬虔なカトリック信者であり、その信仰を受け継いで同じ教会で式を挙げた娘さん。宗教的な絆という面でも、二人の深いつながりが感じられます。同じドレス・同じ教会という選択には、娘さんから萩尾みどりという母への、深いリスペクトと感謝が込められているのではないでしょうか。

「ドレス代の元は取った」という萩尾流ユーモア

しかし萩尾みどりさんはこの感動的なエピソードを、独特のユーモアで語りました。

2017年7月に放送された「徹子の部屋」でこのエピソードを披露した際、「ドレス代の元は取った」と表現したというのです。感動秘話として語るかと思えば、まさかのコスト回収発言(笑)。司会の黒柳徹子さんも思わず爆笑してしまったとのことです。

萩尾みどりさんのこうした独特の言い回しとユーモアのセンスは、長年のファンにはおなじみのもの。感動的な場面でもシリアスになりすぎず、笑いに変えてしまう力は、萩尾さんの大きな魅力の一つです。「ドレス代の元は取った」という一言に、萩尾さんの人柄が凝縮されているような気がしますよね。シリアスな話題でもさらっとユーモアに包んでしまうのが萩尾みどりさんらしいスタンスです。

孫の誕生と「おばあちゃんデビュー」

娘さんの結婚後、萩尾みどりさんは孫も授かりました。

同じ「徹子の部屋」の出演時(2017年頃)に「孫が誕生し、おばあちゃんデビューした」と語っています。1歳になる孫に対し「1歳の孫はかわいいことはかわいい。だけど…」と含みのある発言をし、泣いている赤ちゃんの泣き止ませ方もかなりユニークなものを披露したとのことです。

何事にも独自の視点を持つ萩尾みどりさんは、おばあちゃんになってもそのスタンスは変わらないようです。女手ひとつで育てた娘が、母と同じ場所で同じドレスをまとい嫁いでいき、やがて孫をもたらしてくれた。萩尾みどりさんの人生の豊かさが、このエピソードに凝縮されています。

息子・娘の現在と女手ひとつの子育て

萩尾みどりさんは1994年の離婚後、娘と息子の2人の子供を女手ひとつで育てました。ここでは子供たちの状況と萩尾さんの子育てについて整理します。

離婚時の子供たちの年齢と状況

萩尾みどりさんと深水三章さんが離婚した1994年当時、子供たちはまだ成長途中でした。

2002年の「徹子の部屋」出演時に萩尾さんが語った内容によると、当時(2002年)娘さんは21歳のフリーター、息子さんは17歳の浪人生でした。これを逆算すると、1994年の離婚時点では娘さんが約13歳、息子さんが約9歳だったことになります。

小学生〜中学生という多感な時期に両親の離婚を経験した子供たちを、萩尾さんは女優・声優・タレントとして働きながら育てていきました。「お金を稼いで家族を養うことに喜びを感じる」と語る萩尾さんにとって、この時期の仕事と育児の両立は大きなやりがいでもあったはずです。

女手ひとつで育てた子供たちの現在

現在では、娘さんは40代前半、息子さんは30代後半と推測されます。

娘さんはすでに結婚し、萩尾みどりさんに孫をプレゼントしています。2017年頃の「徹子の部屋」出演時には孫が1歳だったことが語られているため、現在は孫も幼稚園〜小学校の年齢に成長している頃でしょうか。

息子さんについては、2002年時点で17歳の浪人生だったという情報以降、詳しい近況は公開されていません。萩尾さんのプライベートに関しては本人が積極的に発信する一方で、子供たちについてはプライバシーを大切にしているようです。親として当然の配慮でもあり、萩尾さんの子供への深い愛情の表れと言えるでしょう。

子育てを通じて感じた喜びと誇り

萩尾みどりさんは「お金を稼いで家族を養うことに喜びを感じる」という言葉を残しています。

離婚後、シングルマザーとして二人の子供を育て上げるというのは、精神的にも体力的にも大変なことだったはずです。しかし萩尾さんは、その経験をネガティブなものとして語るのではなく、誇りと喜びをもって振り返っているように見えます。

娘さんが母親の着たドレスを着て、同じ教会で結婚式を挙げたという事実は、萩尾さんの子育てがどれほど素晴らしいものだったかを物語っています。ドレスと教会という選択には、娘さんから萩尾みどりという母への、深いリスペクトと感謝が込められているのではないでしょうか。結婚・離婚・子育てというさまざまな経験を経た萩尾みどりさんの人生は、まさに一本の映画のように豊かで奥深いものです。

萩尾みどりの現在の活動と孫との生活

女優・声優・タレントとして、萩尾みどりさんは現在も精力的に活動を続けています。ここでは萩尾さんの現在の活動状況について紹介します。

2023年NHKドラマ「しずかちゃんとパパ」出演

2023年には、NHKのドラマ10「しずかちゃんとパパ」に出演しました。

同作品は2023年8月〜9月にかけて全8話が放送されたドラマで、萩尾みどりさんは複数のエピソードにわたって出演しています。第4話(2023年8月15日放送)から第8話(2023年9月12日放送)まで登場が確認されており、存在感あるキャラクターを演じていたと伝えられています。

70代に入った現在も、NHKの連続ドラマに出演し続けるというのは、萩尾さんの女優としての実力と人気を裏付けるものです。長年にわたって培ってきた演技力と存在感が、現在もプロデューサーや監督に高く評価されていることがわかります。

声優・講演活動と多岐にわたる才能

萩尾みどりさんは女優業と並行して、声優としても高いレベルの仕事をこなしてきました。

メリル・ストリープ主演の「愛と哀しみの果て」やスーザン・サランドン主演の「魔法にかけられて」など、ハリウッドの著名女優の吹き替えを担当。またNHKの海外ドラマ「ホワイトハウス」「エイリアス2」「ER15」など人気シリーズの吹き替えも手がけており、声優としての評価も非常に高いものがあります。

さらに、環境問題・エネルギー問題・リサイクルに強い関心を持ち、これらをテーマとした講演活動も長年続けています。スピーカーズ等の講演会コーディネーターにも登録されており、講師としての需要も高い人物です。女優・声優・講演家と複数の顔を持つ萩尾みどりさんの活動の幅は驚くべきものがあります。

孫との生活と変わらぬバイタリティー

2017年頃に「おばあちゃんデビュー」を果たした萩尾みどりさんは、孫との生活も楽しんでいます。

「1歳の孫はかわいいことはかわいい。だけど…」という含みのある発言から、孫への愛情と同時に独自の視点を失わない萩尾さんらしさが垣間見えます。かねてから「好奇心旺盛でいろいろなことに挑戦するが長続きしないことが多い」と自己分析していた萩尾さんですが、女優としての仕事だけは半世紀以上にわたって継続しています。

ガラス細工、キルト刺繍、水彩画、スキューバダイビング、熱帯魚の飼育など、さまざまな趣味を楽しみながら、女優・声優・講演家として第一線に立ち続ける萩尾みどりさん。夫との離婚、女手ひとつでの子育て、孫の誕生と、さまざまな人生経験を経てなお、その眼差しは常に前を向いています。今後の活躍もますます楽しみです。

萩尾みどりの夫・深水三章との結婚と離婚の総まとめ

  • 萩尾みどりの夫は俳優の深水三章(しんすい さんしょう)
  • 二人の出会いは1978年7月、NHK「おていちゃん」の撮影現場だった
  • ミスタースリムカンパニーのリーダーだった深水三章に萩尾みどりが興味を持ったことがきっかけ
  • 交際後は萩尾さんの世田谷区のマンションで同棲生活をスタートした
  • 結婚式は1980年3月10日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で挙行された
  • 萩尾みどりは敬虔なカトリック信者で洗礼名は「マリア=アグネス」
  • 結婚式当日、萩尾みどりは妊娠7ヶ月だったことが記者会見で明らかになった
  • 「赤ちゃんが原因ではなく、1年前から結婚を決意していた」と本人が説明した
  • 二人は1994年に離婚。親権は萩尾みどりが取得した
  • 離婚の根本原因は「1つの家に男は2人要らない」という性格の不一致だった
  • 深水三章は2017年12月30日に虚血性心不全で亡くなっている
  • 俳優・深水元基が息子と噂されたが、年齢の不一致と本人のツイッターで否定済み
  • 娘は萩尾みどりが着た同じウェディングドレス・同じ教会で結婚式を挙げた
  • 萩尾みどりには娘と息子の2人の子供がおり、もいる
  • 現在も女優・声優・講演活動と多方面で精力的に活躍している

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