松岡修造の家系図|曽祖父・小林一三から続く名門一族の全貌

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松岡修造の家系図|曽祖父・小林一三から続く名門一族の全貌

松岡修造さんの家系図について、その驚くべき名門のルーツを知りたいという方は多いのではないでしょうか。

修造さんの曽祖父は、阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝を創設した伝説の実業家・小林一三です。日本近代史を動かした巨人のひ孫として生まれ、父親は元東宝会長、母親は元宝塚男役スター・千波静というまさに「華麗なる一族」の申し子ともいえる存在です。

さらに、高祖父に自身と同じ「松岡修造」という名の人物がいたという驚きのエピソードも判明しています。この記事では、修造さんの家系図を軸に、曽祖父・小林一三から母方の山本家まで、その全系譜を丁寧に整理していきます。

記事のポイント

①:曽祖父は阪急・宝塚・東宝創業者の小林一三

②:祖父は小林一三の二男で松岡家に養子入り

③:母・千波静は元宝塚の男役トップスター

④:高祖父に同名「松岡修造」がいたと判明

松岡修造の家系図|曽祖父・小林一三から続く名門の血脈

  • 家系図の核心|曽祖父・小林一三の実業家としての歩み
  • 祖父・松岡辰郎と松岡汽船|なぜ松岡姓になったのか
  • 父・松岡功のテニス経歴と東宝会長就任の経緯
  • 母・千波静の宝塚時代と松岡功との結婚
  • 松岡修造のプロフィールとテニス選手としての実績
  • 兄・松岡宏泰の東宝社長就任|現在の活躍

家系図の核心|曽祖父・小林一三の実業家としての歩み

松岡修造さんの家系図を語る上で、最初に触れなければならないのが曽祖父・小林一三という人物です。ここ、ほとんどの方が「えっ、そんな大物と繋がっているの?」と驚くポイントではないでしょうか。

項目 内容
氏名 小林一三
生年月日 1873年1月3日(明治6年)
没年 1957年1月25日(満83歳)
出身 山梨県韮山(現・伊豆の国市)
学歴 慶應義塾
主な実績 阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝を創設
役職 商工大臣、阪急電鉄社長、東宝社長 等
松岡修造との関係 曽祖父

山梨の豪商から三井銀行へ

小林一三は1873年(明治6年)1月3日、山梨県韮山(現・伊豆の国市)で生まれました。名前の「一三」は生誕日が1月3日であることにちなんでいます。実家は「布屋」という豪商でしたが、幼少期に両親を亡くすという苦労も経験しています。

慶應義塾で学んだ後、三井銀行に入行して金融の実務を積みました。その後、大阪支店などに勤務しながら実業家としての素地を養っていきます。この時期に蓄えた知識と人脈が、後に巨大な事業を打ち立てる基盤となりました。

鉄道・宝塚・映画で日本近代史を動かす

1907年(明治40年)、一三は「箕面有馬電気軌道」(後の阪急電鉄)を設立します。単に鉄道を走らせるだけでなく、沿線に住宅地を開発して「住んでみたい街」を作り出し、終点に温泉・遊園地・歌劇を整備するという画期的な経営モデルを確立しました。これは現代の鉄道会社が広く採用する「沿線開発型ビジネス」の先駆けです。

1914年(大正3年)には宝塚少女歌劇(現・宝塚歌劇団)を創設しました。女性だけの出演者、華やかな舞台演出、そして観客への徹底したサービス精神は時代を超えて愛され続けています。さらに1932年には「東京宝塚劇場」を設立し、これが後の東宝株式会社へと発展します。商工大臣も務めた一三は「今太閤」とも称されるほど、政財界の両面で圧倒的な存在感を放っていました。

家系図における松岡家との接点

一三と松岡家の縁は、二男・辰郎の養子縁組によって生まれました。辰郎が松岡家に入ったことで、小林家と松岡家は血縁で結ばれ、修造さんはそのひ孫として生まれることになります。

2025年8月18日のNHK「ファミリーヒストリー」で修造さんの家系が放送されると、SNSには「修造家エグすぎる」「大物しかでてこないの笑う」「家系すんごいな」と驚きの声が相次ぎました。修造さん自身も収録中に「帰っていいですか。息苦しい」とポツリとこぼすほど、この壮大な家系の重みを感じさせられた様子でした。

一三の子供たちはいずれも各界の名門に繋がりました。長男・富佐夫は東宝社長、二男・辰郎が松岡家に養子入り、三男・米三は阪急電鉄社長・宝塚歌劇団理事長、長女・とめ子はパレスホテルの吉原家に嫁ぎ、次女・春子はサントリー(寿屋)の鳥井吉太郎の妻となりました。日本を代表する財閥・企業と閨閥を形成した、昭和を代表する名門一族の家系図といえるでしょう。

祖父・松岡辰郎と松岡汽船|なぜ松岡姓になったのか

松岡修造さんの祖父・松岡辰郎は、小林一三の二男として生まれながら、松岡家に養子として入った人物です。なぜ「小林」姓ではなく「松岡」姓なのか——その答えがここにあります。

小林一三の二男から松岡家の養子へ

辰郎は昭和5年(1930年)に松岡家へ養子入りしました。嫁ぎ先となった松岡家は、松岡潤吉を当主とする実業家一族です。辰郎は松岡潤吉の長女・節子と結婚するかたちで松岡家に入籍し、「松岡辰郎」となりました。

松岡潤吉という人物は、松岡汽船社長・北海道松岡農場・大和田紡績各社長、加島信託・呉羽紡績各取締役を歴任した、事業家としての実績を持つ人物です。その潤吉の妻・千恵は初代「松岡修造」の長女であり、この初代修造については後述しますが、修造さんの名前の由来に深く関わる重要人物です。

松岡汽船・東宝社長として活躍

辰郎は養子入り後、松岡家の事業である松岡汽船の経営を引き継ぎ、後に東宝の社長にも就任します。戦中期にかけて「松岡汽船」の名は海事業界で知られた存在となっており、海事図書館にも当時の資料が残されています。

辰郎と節子の間には複数の子供が生まれました。その二男が後の東宝会長・松岡功さんです。修造さんにとって、祖父・辰郎は小林一三の血を引きながら松岡の家名を継いだ、2つの名門をつなぐ存在といえます。

この「小林から松岡へ」という流れが、修造さんの家系図を読み解く上でのひとつの軸となります。父方の祖父がいわば「2つの名門の橋渡し役」であることを知ると、修造さんの家系図がさらに立体的に見えてきますよね。

ちなみに、辰郎が養子入りした松岡家のルーツを辿ると、宝塚市のお寺に高祖父・松岡修造(初代)が寄進した曼荼羅図が残されていることも2025年のNHK番組で明らかになっています。地域の寺社に残る記録が、家系図調査においていかに重要な手がかりになるかを示す好例です。

父・松岡功のテニス経歴と東宝会長就任の経緯

修造さんの父・松岡功さんは、祖父・辰郎の二男として生まれました。家系的には小林一三のひ孫にあたる人物で、テニスと映画という2つの世界で存在感を示した、興味深い経歴の持ち主です。

テニス選手として大学選手権制覇・デビスカップ代表

功さんは若い時代、テニス選手として本格的に活動していました。大学選手権で優勝し、デビス杯(デビスカップ)の日本代表として国際舞台にも立っています。当時の活躍ぶりは新聞紙面にも記録されており、スポーツ選手としての実力は本物でした。

修造さんが後にプロテニスプレーヤーとして世界と戦ったことを考えると、父・功さんのテニス経歴との繋がりは非常に興味深いです。テニスを愛する血が父から子へと受け継がれた、とも言えるかもしれません。

東宝会長として映画界を牽引

社会人になってからは東宝に入社し、経営者としての道を歩みます。後に東宝会長(東宝名誉会長とも)に就任し、日本映画・エンターテインメント産業を長年にわたって支えました。

祖父・辰郎が東宝社長を務めたことを考えると、父・功さんの東宝入りは自然な流れとも言えますが、その前にテニス選手として国際舞台に立ったという経歴は、単なる「御曹司」ではない個人としての実力と個性を感じさせます。

息子・修造への教育方針

功さんが修造さんに対してとった教育方針は、多くの人が驚くほど「手放し」なものでした。修造さんがプロテニスを目指して慶應義塾高校から柳川高校へ転校したいと言ったとき、功さんは「テニスをするんだったら、そういう選択肢もあるだろう」と息子の意思を尊重しました。

東宝という巨大な芸能・映画の世界を率いる立場にありながら、息子のテニス人生に「コネ」を使うことも、「お父さんもすごかったんだぞ」と過去の自慢をすることも一切しなかったといいます。修造さんが語ったエピソードでは、沢口靖子さんを「会わせて」と頼んでも「バカが、誰が会わせるか」とけんもほろろに断られたそうです(笑)。この潔さは、東宝の名誉を大切にする功さんの矜持の表れだったのでしょう。

母・千波静の宝塚時代と松岡功との結婚

修造さんの母・千波静さんは、元宝塚歌劇団の男役スターです。本名は山本静子さんで、後に松岡葆子(しげこ)とも名乗るようになりました。宝塚との深い縁は、修造さんの家系図において「もうひとつの主役」ともいえる重要な要素です。

宝塚44期生・男役としてのキャリア

千波静さんは宝塚歌劇団44期生として昭和32年(1957年)に入団しました。芸名「千波静」として男役を演じ、昭和37年(1962年)に退団するまでの5年間、舞台に立ち続けました。

宝塚での活躍が縁となって、東宝の松岡功さんと出会い、結婚に至ります。阪急・宝塚と東宝は同じグループの文化圏にある存在だけに、こうした出会いが生まれるのは自然な流れだったともいえます。

退団後のジャズダンス活動

宝塚退団後、静子さんは「田中正子ジャズダンス教室」の講師として活動していました。これは妹・千波薫さん(田中正子)が主宰するダンス教室で、姉妹で力を合わせて後進の育成に取り組んでいた様子が伝わってきます。

宝塚時代の舞台経験と情熱を、ダンス教育という形で社会に還元し続けた静子さんの生き方は、息子・修造さんの「情熱」の源泉のひとつとも言えそうです。修造さん自身も「宝塚の血というのが、多分、僕はあると思うんですね。ミュージカルも好きですし、観るパフォーマンスが好きなんですよ」と語っており、母親からの影響を強く感じていることが分かります。

千波静さんの姉・千波淳さん、妹・千波薫さんもともに宝塚の男役スターだったという事実は次のセクションで詳しく触れますが、山本家から3人の宝塚スターが生まれたという事実は、修造さんの家系図の中でもとりわけ印象的なエピソードです。

松岡修造のプロフィールとテニス選手としての実績

ここでは修造さん本人のプロフィールと、プロテニス選手として積み上げた実績を整理します。華麗なる家系図の中で、修造さん自身がどのような歩みを重ねてきたのかを確認してみましょう。

項目 内容
氏名 松岡修造
生年月日 1967年11月6日
2026年04月16日現在の年齢 58歳
出身地 東京都
職業 スポーツキャスター・タレント・元プロテニス選手
テニス最高世界ランク 46位(1992年7月)
ウィンブルドン最高成績 ベスト8(1995年)
五輪出場 ソウル・バルセロナ・アトランタ(3大会連続)
引退 1998年
田口恵美子(元テレビ東京アナウンサー)
子供 3人(長女・次女・長男)

テニスとの出会いと柳川高校への転校

修造さんは小学5年生のとき、石黒修プロ(俳優・石黒賢さんの父親)についてテニスを始めました。慶應義塾高校に進学した後、高校2年生でテニスの名門・福岡県の柳川高校へ転校するという大きな決断をします。東京の名門校を離れて地方の強豪テニス部に飛び込むという選択は、当時としても相当な覚悟が必要なものでした。

柳川高校ではハードな練習で才能が開花し、1985年にはインターハイのシングルス・ダブルス・団体の三冠を達成しました。さらにヨーロッパへの武者修行を経て、フロリダのパーマー・アカデミー・ハイスクールに入学し直して卒業後、プロ転向を決意します。

日本人男子初の快挙を次々と達成

プロデビュー後、修造さんは日本テニス史に輝く記録を次々と打ち立てていきます。1992年のソウル・オープンでは日本男子選手として史上初となるツアーシングルス優勝を飾り、同年7月には世界ランキング46位という自己最高位を記録しました。

そして1995年のウィンブルドンでは、62年ぶりとなる日本男子のベスト8進出を達成しました。この快挙はテニス界だけでなく、日本全体に大きな感動を与えました。五輪はソウル(1988年)・バルセロナ(1992年)・アトランタ(1996年)と3大会連続で出場しており、長期間にわたって日本男子テニス界を牽引し続けた存在です。1998年に現役を引退するまでの実績は、錦織圭さんが登場するまで「日本人男子最高の記録」として語り継がれました。

兄・松岡宏泰の東宝社長就任|現在の活躍

修造さんの兄・松岡宏泰さんも、家系図の中で欠かせない存在です。修造さんがテニスとメディアの世界で知名度を上げる中、宏泰さんは東宝グループの経営という形でその名門を継承しています。

東宝東和から東宝トップへ

宏泰さんはまず東宝東和(映画の買い付け・配給会社)に入社し、常務を経て2008年4月より東宝東和の社長に就任しました。その後、東宝の経営中枢へと進み、2022年より東宝株式会社の社長を務めています。

東宝は「鬼滅の刃」「呪術廻戦」などのアニメ映画を筆頭に、近年も国内映画興行で圧倒的なシェアを誇っています。その舵取りを任されているのが宏泰さんというわけです。

兄弟それぞれの道

修造さんと宏泰さんの兄弟は、それぞれが全く異なるフィールドで活躍しているのが印象的です。兄は映画・エンターテインメント産業の経営者として東宝グループを率い、弟はテニスの世界で結果を出した後にスポーツキャスターとして第一線を走り続けています。

2025年のNHK「ファミリーヒストリー」では、宏泰さんも番組に登場し、修造さんが柳川高校への転校を決めた際の父・功さんの言葉を証言しています。「本当にテニスがしたいなら、今のままやったら、たぶん強い選手になれないから」という父の姿勢が、修造さんの人生を大きく動かしたことを語っていました。

兄弟でそれぞれの才能と情熱を存分に発揮している姿は、父・功さんが「手放し育児」で子供を信じた結果とも言えそうです。東宝の看板を担う兄と、情熱の人として国民的人気を誇る弟——その家系図のバランスもまた「松岡家らしさ」を感じさせます。

松岡修造の家系図|母方・山本家と宝塚の絆

  • 母方・山本家のルーツ|静岡・名主の家柄
  • 千波三姉妹が示す宝塚との深い縁
  • 高祖父・松岡修造との同名の秘密|名前の由来
  • 松岡修造の妻と子供たち|田口恵美子との結婚
  • 長女・稀惺かずとの宝塚入団で続く一族の伝統

母方・山本家のルーツ|静岡・名主の家柄

松岡修造さんの家系図において、父方(小林・松岡家)が実業家の系譜であるとすれば、母方の山本家は静岡を拠点とした名主の家系です。修造さんのルーツは東西にまたがる、非常に興味深い構成になっています。

静岡市清水区にルーツを持つ山本家

修造さんの母方の祖父・山本喜之輔さんは、東京理化工業社長を務めた実業家で、妻・フサ子さんとの間に1男4女をもうけました。フサ子さんは片平源蔵・きせの二女で、教員養成所を卒業後に静岡市内で幼稚園の先生をしていた方です。

山本家は静岡市清水区にルーツを持つ名主の家柄です。名主とは江戸時代に村落の行政を担った名望家のことで、格式のある家系には古文書・土地台帳・年貢の記録などが残されていることも多く、山本家でも同様の歴史的資料が伝わっている可能性が高いとされています。

静岡に今も暮らす親族との縁

2025年のNHK「ファミリーヒストリー」では、山本家の調査において静岡県立科学技術高校に残された卒業アルバムや文集が資料として活用されました。学校に残る資料は世代を超えて保存されるため、母方のルーツを探る手がかりとして非常に有効なのだそうです。

また実際に静岡には今も山本家の親族が暮らしており、遠縁の方々を訪ねることで新たな証言や写真が発見されたといいます。家系図調査において「現地の親族証言」は戸籍や文書では補えない情報を提供してくれる貴重なものです。修造さんにとって、母方の静岡というルーツが自分の中にある穏やかさや粘り強さの源泉にあるのかもしれません。

喜之輔さんには1男4女の子供がいましたが、長男・悌弘さんは5歳で早世しており、四女・喜代美さんの夫はタイトウ営業部長・ユニセフ取締役を務めた外国人であるなど、山本家もまた多彩な人物たちを輩出した家系です。修造さんの母・静子さんは喜之輔さんの二女にあたります。

千波三姉妹が示す宝塚との深い縁

修造さんの家系図の中で「宝塚歌劇団」との縁は、母方の山本家にも深く刻まれています。山本喜之輔さんの娘たちは3人が宝塚の男役スターとなり、いわゆる「千波三姉妹」として知られる存在になりました。

長女・千波淳の宝塚キャリア

長女・淳子さん(芸名:千波淳)は宝塚歌劇団42期生として昭和30年(1955年)に入団し、昭和44年(1969年)まで14年間にわたって男役を務めました。修造さんの伯母にあたる淳子さんは退団後も社会で活躍し、東京理科取締役・興津精器工業専務を歴任しています。

次女・千波静(修造さんの母)の宝塚時代

次女・静子さん(千波静)は44期生として昭和32年(1957年)に入団し、昭和37年(1962年)に退団しました。在団中は男役として舞台を踏み、退団後はジャズダンス教室の講師として後進の育成に携わりました。退団後に東宝の松岡功さんと結婚して修造さんを産むことになります。

三女・千波薫と「千波ゆう」の存在

三女・正子さん(千波薫)は48期生として昭和37年(1962年)に入団し、昭和40年(1965年)に退団しました。退団後は「田中正子ジャズダンス教室」を主宰・運営し、修造さんの母・静子さんも同教室で講師を務めました。

さらに薫さんの娘・田中里衣さん(芸名:千波ゆう)は宝塚歌劇団76期生として花組に所属し、修造さんのいとこが宝塚で活躍するという4世代にわたる宝塚との縁が続いています。2016年には里衣さんの兄が元花組トップスター・蘭寿とむさんと結婚するというニュースもあり、宝塚一族ぶりはますます際立っています。

山本家の3姉妹がそろって宝塚の男役スターになったという事実は、まさに修造さんが言う「宝塚の血」がいかに深いものかを物語っています。

高祖父・松岡修造との同名の秘密|名前の由来

修造さんの家系図における最大のサプライズともいえるのが、高祖父に自分と全く同じ「松岡修造」という名前の人物がいたという発見です。2025年のNHK「ファミリーヒストリー」で明らかになったこのエピソードは、SNSでも大きな話題を呼びました。

初代・松岡修造は大阪の米穀商から財を成した実業家

高祖父にあたる初代・松岡修造は、大阪で米穀商として成り上がり、その後、船会社(松岡汽船)を興して一代で財を成した人物です。明治から大正にかけて活躍した実業家で、宝塚市のお寺には初代修造が寄進した曼荼羅図が現在も残されています。

また、地元の郷土資料には初代修造の立身出世に関する記述が残されており、地域の名士として知られる存在でした。NHK番組の調査では、宝塚に今も住む遠縁の親族が登場し、家族に伝わる話を語ってくれるシーンもありました。

「修造」の名前は高祖父から受け継がれた

番組の調査によって、現在の松岡修造さんの名前が高祖父・初代「松岡修造」にちなんで名付けられたものであることが判明しました。修造さんは番組内でこの事実を知り、大きくうなずきながら驚いた表情を見せていたといいます。

「なんで三(みつ)じゃなかったんだろう」と小林一三の「三」への疑問を語っていた修造さんにとって、自分の名前が先祖から受け継いだものだと判明したこの瞬間は、特別な感慨があったのではないでしょうか。高祖父の修造は松岡汽船を通じて松岡潤吉と縁戚関係を持ち、その流れで辰郎(小林一三の二男)が松岡家に養子入りするきっかけにもなっています。名前ひとつから家系図の深い縁がつながっているわけで、ここ、なんとも感動的なエピソードだと思います。

松岡修造の妻と子供たち|田口恵美子との結婚

修造さんの私生活については、妻・田口恵美子さんとの結婚と3人の子供たちが知られています。テニス引退と結婚が同じ1998年に重なるという、人生の大きな転換期を迎えた年でした。

妻・田口恵美子さんのプロフィール

妻・田口恵美子さんは元テレビ東京のアナウンサーです。テレビ局のアナウンサーとして活躍していた恵美子さんと修造さんが結婚したのは1998年のことでした。テニス界の第一人者とテレビ局アナウンサーという組み合わせは、スポーツとメディアの世界が交差する出会いといえます。

結婚後、恵美子さんはアナウンサーを退局し、家庭に入っています。修造さんが引退後にスポーツキャスターとしてメディアでの活動を本格化させた時期と、恵美子さんとの家庭を築いた時期が重なっています。

3人の子供たちと家庭の様子

修造さんと恵美子さんの間には3人の子供がいます。長女・恵さん(後の宝塚歌劇団・稀惺かずと)、次女、そして長男という構成です。修造さんは「3人の子の父親」として知られており、子育てにも積極的な姿勢をとっているとされています。

家庭については比較的プライベートを大切にしており、詳細な情報は公開されていませんが、長女が宝塚に入団したことで一族の「宝塚の縁」が継続されていることが広く知られています。修造さんの情熱と、恵美子さんの支えという組み合わせで築かれた家庭は、その子供たちにも確かに受け継がれているようです。

長女・稀惺かずとの宝塚入団で続く一族の伝統

松岡修造さんの家系図において、最新の「宝塚エピソード」として注目されているのが長女の宝塚歌劇団入団です。母方の曾祖父が創設し、祖母・母・伯母・叔母が活躍した宝塚の舞台に、修造さんの娘もまた立つことになりました。

2019年入団・稀惺かずとという存在

修造さんの長女・松岡恵さんは2019年に宝塚歌劇団105期生として入団し、芸名「稀惺かずと(きしょう かずと)」として男役の道を歩んでいます。入団当時、父・修造さんのプロフィール紹介にも「2019年、長女・恵が宝塚歌劇団に105期生として入団」という記述が加わりました。

稀惺かずととして男役を務めている姿は、祖母・千波静さんや伯祖母の千波淳さん・千波薫さんの姿と重なるものがあります。複数世代にわたって宝塚の男役スターが生まれるというのは、まさに「宝塚の血」が受け継がれている証でしょう。

4世代にわたる宝塚の縁

修造さんの家系図における宝塚との繋がりをまとめると、曽祖父・小林一三による宝塚歌劇団創設(大正3年)から始まり、祖母・千波静、伯祖母・千波淳、叔祖母・千波薫、従姉・田中里衣(千波ゆう)、そして長女・稀惺かずとへと続く、4世代以上にわたる深い縁が確認できます。

修造さんは番組や対談の中で「宝塚の血があると思う。パフォーマンスを観るのが好き」と語っており、テニスプレーヤーとしての劇的なプレースタイルや、スポーツキャスターとしての熱いパフォーマンスにも、この宝塚の血脈が流れているのかもしれません。

令和の今も、修造さんの長女が宝塚の舞台に立ち続けている——このことを知ると、一三が大正時代に宝塚歌劇団を創設した瞬間から、100年以上にわたって家族の歴史と宝塚が交差し続けているという事実に、改めて感動させられます。

松岡修造の家系図|名門一族の総まとめと総括

  • 修造さんの曽祖父は小林一三——阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝を創設した明治・昭和の伝説的実業家
  • 小林一三は1873年1月3日生まれで、名前は生誕日「一月三日」にちなんだもの
  • 祖父・松岡辰郎は小林一三の二男で、昭和5年に松岡家へ養子入りして松岡姓を名乗った
  • 松岡家のルーツは松岡汽船を興した大阪の米穀商・初代松岡修造にある
  • 父・松岡功はデビスカップ日本代表を務めた元テニス選手で後に東宝会長に就任
  • 母・千波静(山本静子)は宝塚歌劇団44期生の男役スターで山本家の次女
  • 修造さんは1967年11月6日生まれ、テニス最高世界ランクは46位(1992年7月)
  • 1995年ウィンブルドンでベスト8進出——62年ぶりの日本男子快挙
  • 五輪はソウル・バルセロナ・アトランタと3大会連続出場を果たした
  • 母方・山本家は静岡市清水区にルーツを持つ名主の家柄
  • 千波三姉妹(淳・静・薫)はいずれも宝塚の男役スターとして活躍した
  • NHK「ファミリーヒストリー」で高祖父にも同名の「松岡修造」がいたことが判明
  • 兄・松岡宏泰は東宝東和社長を経て2022年より東宝株式会社の社長を務める
  • 妻・田口恵美子は元テレビ東京アナウンサーで1998年に結婚、子供は3人
  • 長女・稀惺かずと2019年に宝塚歌劇団105期生として入団し一族の伝統を継ぐ

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